いまの阪神ベンチには『川藤さん』の役目をする人間が必要だろう 自軍の首脳陣をも非難した“野次将軍”…だが、もう、遅きに失したかもしれない

AI要約

岡田監督はチームを勝利に導くために選手たちにもっとエネルギーを求めている。

昔の野次将軍、川藤幸三のような存在が今のチームにいなくても、チームをまとめる人物が必要だと感じている。

田所龍一氏は、選手たちに優勝への執念を持つようにするために、かつてのような情熱的なリーダーが必要だと考えている。

いまの阪神ベンチには『川藤さん』の役目をする人間が必要だろう 自軍の首脳陣をも非難した“野次将軍”…だが、もう、遅きに失したかもしれない

◇コラム「田所龍一の岡田監督『アレやコレ』」

 ここで負けたらアカンがなぁ…。甲子園球場を埋めた虎ファンはさぞやガックリきたことだろう。8月31日の巨人戦で逆転3ランを放ち《それでこそサトテルや》と思わせた佐藤輝も、1日たてば元の“守乱男”に逆戻り。なんで、こうなるんかなぁ。

 岡田監督は3位という状況を決して悲観してはいなかった。残り30試合になったときには「30試合をウチが2勝1敗でいけば、相手(広島、巨人)が1勝2敗ペースやったら10ゲームも縮まるんやで。勝負はこれからよ」と笑顔で語った。

 「勝負は9月や。そやなぁ、9月に入って3ゲーム差。それなら大丈夫よ」と逆転アレンパに自信を見せていたのだ。その9月1日に痛い敗戦。これで首位広島とは「5・5差」、2位巨人には「5差」に広がり、もう「大丈夫」ではなくなった。

 実は先の長期ロード中の岡田監督のある言葉が気になっていた。負けた試合で言った言葉だ。

 「ワンバウンド!とベンチで叫んだん、オレ1人よ。恥ずかしかったわ」

 「負けて怒っとるのはオレ1人だけ。つまり、そういうことよ」

 そういうこと? リードされて負けムードになると全員がシュンとなって誰も声を出さない。エラーをしても凡退しても、コーチたちは黙って見ているだけで叱りもしない。

 もっと燃えろ、怒れ! お前ら、ホンマに優勝する気あんのか! と叫びたい心境だったのだろう。

 昭和60年、阪神ベンチのど真ん中には“野次将軍”川藤幸三さん(現在のOB会長)がいた。相手ベンチはもちろん、「平田、三振してヘラヘラとベンチに戻ってくんな!」と自軍の選手でも構わず怒鳴り上げた。虎番記者がいう。「いまの選手にそれを求めるのは無理。川藤さんみたいな選手はもういませんよ」。確かにそうかもしれない。だが、川藤さんも好きで野次将軍になったわけではない。

 昭和60年の5月ごろだったという。突然、一枝ヘッドコーチがやってきてこう言った。

 「カワよ、お前が選手をまとめてくれへんか」。川藤さんは驚いた。

 「待ってください。そりゃぁ、コーチの仕事でしょう。オレは控え選手や」

 「いや、お前にしかできん。頼む、吉田監督もそう願ってるんや。お前も優勝したいやろ」

 優勝の2文字に川藤さんの心が揺らいだ。そしてこう言った。

「わかりました。けど、わしはウチの首脳陣にも怒鳴りまっせ。それを許してくれるんならやります」

 川藤将軍は本当に阪神の首脳陣にも野次を浴びせかけた。

 「こんなところでピッチャー代えるアホな首脳陣はどこのどいつや!」

 いまの阪神ベンチに川藤さんのような選手はいなくとも、川藤さんの役目をする人間は必要だろう。それができるのは平田ヘッドコーチと思うのだが…。もう、遅きに失したかもしれない。

 ▼田所龍一(たどころ・りゅういち) 1956(昭和31)年3月6日生まれ、大阪府池田市出身の68歳。大阪芸術大学芸術学部文芸学科卒。79年にサンケイスポーツ入社。同年12月から虎番記者に。85年の「日本一」など10年にわたって担当。その後、産経新聞社運動部長、京都、中部総局長など歴任。産経新聞夕刊で『虎番疾風録』『勇者の物語』『小林繁伝』を執筆。