松本開催の“ほっこり話”…球場と名門・松商学園が地域で育む野球愛 中日・上田コーチも歴史の1ページに

AI要約

松本スタジアムでの巨人対中日戦が7年ぶりに開催され、松商学園高出身の上田コーチが記念品を受け取る。

松商学園は長い歴史を持ち、上田コーチもその一部であり、球場改修時に記念的なホームランを打っていた。

上田コーチは松本球場で野球教室を開くなど、地元への愛情を示し、試合後には笑顔で会場を後にしていた。

松本開催の“ほっこり話”…球場と名門・松商学園が地域で育む野球愛 中日・上田コーチも歴史の1ページに

◇渋谷真コラム「龍の背に乗って」

◇2日 巨人1―2中日(松本)

 松本では7年ぶりの公式戦。この間に命名権が設定されセキスイハイム松本スタジアムとなっていた。開始前には松商学園高吹奏楽部が演奏を披露し、通常は選手が務める記念品贈呈も、同校OBの上田打撃コーチが受け取った。

 長野県、いや日本の高校野球をリードしてきたのが松商学園だ。甲子園出場回数は春16度、夏37度を誇り、今年で100周年を迎える甲子園で初めて行われた夏(1924年)に、準優勝したのも松商学園である。その歴史と伝統の重みを上田コーチが教えてくれた。

 「普段の練習を見に来る“土手ファン”がたくさんいるんです。グラウンド横の土手に座って、見ているから。卒業生だけでなく、一般の方々が熱心に見てくれる。本当に松商の歴史を感じましたよね」

 そして、上田コーチ自身もその歴史の1ページである。この球場が全面改修されたのは1991年。球場開き(6月22日)はセンバツで準優勝した松商学園と松本深志高の一戦だった。その試合で「球場第1号」を打ったのが投打二刀流の上田コーチだった。記念のバットは今も球場玄関を入ったところで飾られている。

 「そうそう。緩い球を引きつけて右中間にね。僕は次の年にプロでもこの球場で投げているんですよ。2軍戦でしたけど、やはり巨人戦。僕にとって最初で最後の勝ち投手でした」

 92年8月15日。先発して5イニングを1失点に抑え、凱旋(がいせん)星を飾っている。1年限りで野手に転向。その7年後に、今度は松本球場初のナイターで、先発出場している。

 この日、球場で話を聞いた若手の職員は「僕が生まれる前」なのに展示されている金属バットのことを知っていた。「僕も松商の野球部なんですが、上田さんは必ずオフにここで野球教室を開いてくださってますから」。生まれた街を大切にする上田コーチにとって、この勝利が何よりの恩返しとなったはず。

 「選手たちのおかげで、お世話になった方々にいい試合を見せられて本当に良かったです」。地方開催ならではのほっこりする話。笑顔で松本を後にしていた。