男子サッカーで日本のオーバーエージ活用は5度、ロンドン・東京では4位…使わずに3連敗の大会も

AI要約

1996年のアトランタオリンピックから導入されたOA枠について、日本男子サッカーチームの歴史と過去の出場記録を振り返る。

OA枠を使用しなかったアトランタ大会と2008年北京大会の事情、それに伴う成績について詳細に述べられている。

フィリップ・トルシエ氏率いた2000年のシドニー大会で初めてOA枠を活用し、決勝トーナメント進出に貢献した選手たちのエピソードが記されている。

 パリオリンピックに出場するサッカー男子の日本代表選手18人が3日に発表される。ワールドカップ(W杯)と違い、原則23歳以下(U―23)の選手で構成されるが、24歳以上のオーバーエージ(OA)の選手も3人まで起用可能だ。これまで日本はどんな選手を起用してきたのだろうか。(デジタル編集部、選手の所属は当時)

 OA枠が導入されたのは1996年アトランタオリンピックから。92年のバルセロナ大会で23歳以下という年齢制限で出場資格が統一されたが、スペインはサッカーが盛んであるにもかかわらず、観客の入りは極めて悪かった。その打開策として登場したのがOAだった。

 日本男子サッカーが28年ぶりにオリンピックに戻ってきたのもアトランタ大会。以降、今回のパリオリンピックで8大会連続出場となるが、OA枠はチームの戦力を左右するだけに注目を集めてきた。

 過去7大会でOA枠を使用しなかったのは、アトランタ大会と2008年の北京大会だ。アトランタ大会は若い選手に国際舞台の経験を積ませ、フル代表へのステップにするという方針によるもの。北京大会は右ひざの不安を理由にFW大久保嘉人(神戸)の招集がかなわなかったうえ、候補として発表していたMF遠藤保仁(G大阪)がウイルス感染症による体調不良で辞退した。アトランタ大会ではブラジルを破る「マイアミの奇跡」などで2勝1敗だったが、1次リーグ3位で決勝トーナメントに進めず。北京大会は3連敗だった。

 OA枠が初めて使用されたのはフィリップ・トルシエ氏率いた2000年のシドニー大会。GK楢崎正剛(名古屋)、DF森岡隆三(清水)、MF三浦淳宏(横浜M)の3選手が入り、32年ぶりの決勝トーナメント進出に貢献した。準々決勝のアメリカ戦では2度リードしながら終了間際の失点で同点に。延長戦でも決着がつかずにもつれ込んだPK戦で、中田英寿(ASローマ)の失敗が響き敗退した。

 続くアテネ大会ではMF小野伸二(フェイエノールト)とGK曽ヶ端準(鹿島)を選出。小野は初戦のパラグアイ戦で2つのPKを決めたが、チームは前半に3失点するなど安定感を欠き、3―4で敗戦。次戦のイタリア戦でも前半に3失点し、2―3で連敗。結局、1次リーグ1勝2敗で決勝トーナメントに進めなかった。