「菊池雄星と大谷翔平で免疫ができた」佐々木朗希を圧倒した盛岡大附の名コーチが“女子野球部”の監督に…「3年で日本一」を掲げるワケは?

AI要約

松崎克哉は、福島の聖光学院に女子野球部の監督として就任。若手指導者がこの決断を下した背景には、過去の経験や闘志を伝えたい思いがある。

盛岡大附の闘志や大谷翔平らとの対戦経験から、強者に立ち向かうメンタルを育むことの重要性を語る。

松崎は高校時代の経験により、恐怖心を打ち破り、チームとしての一体感を築くことが甲子園出場に繋がる重要な要素であると説く。

「菊池雄星と大谷翔平で免疫ができた」佐々木朗希を圧倒した盛岡大附の名コーチが“女子野球部”の監督に…「3年で日本一」を掲げるワケは?

 かつては名門野球部のキャプテンとして、その後は強豪校のコーチとして。東北の高校野球の第一線で活躍した松崎克哉が、この4月に就任したのは福島・聖光学院に創部された「女子」野球部の監督。37歳の若手指導者が、異例の決断を下した理由はなんだったのだろうか? <全2回の2回目/1回目から読む>

 大谷翔平。

 日本人なら誰もが興味を引く話題である。

 監督の松崎克哉の講話に、聖光学院女子野球部の選手たちが目を輝かせていた。松崎が紡ぐのは、あの夏の記憶である。

 2012年7月26日に行われた岩手大会決勝戦。松崎が部長を務めていた盛岡大附は、当時の高校生最速となる160キロのストレートを誇る花巻東のエース・大谷翔平を9安打5得点と攻略し、甲子園出場を決めた。

 松崎が聖光学院の選手たちに訴えかけるのは、この試合を戦った盛岡大附の闘争心だ。

「あの試合の大谷翔平は、常時150キロの真っ直ぐを投げるようなピッチャーで、そんな高校生なんて日本にいなかった。もし、みんながそんなすごいピッチャーと対戦したら、どう思うかな?」

 松崎が問いかけると、選手たちは「打てないと思います」と本音で答える。そして、監督は「だよね」と頷き、続ける。

「だけど、盛附(盛岡大附)の選手たちには恐怖心なんかなくて『打ってなんぼ』と思っているし、そういうピッチャーだからこそ一段と燃えていたよ。『大谷を打ったらヒーローになれる』って心構えのほうがいいよね」

 松崎が選手に伝え、植え付けたいのは、強者のメンタルというより強者に立ち向かうマインドのはずである。それは、松崎が高校時代から蓄え続けているものでもあるのだ。

 聖光学院でキャプテンだった04年、松崎が今も心に焼き付けている光景がある。春の東北大会決勝戦。相手の東北高校には、「高校ナンバーワン」の呼び声の高いダルビッシュ有がエースとして君臨していた。チームも前年夏に甲子園準優勝を果たしており、全国的にも指折りの強豪だった。

 試合は1-6で敗れたが、松崎はこのとき、聖光学院に揺るぎない戦う集団を見たという。

「あのときの東北は完全な格上ですよね。そんな相手に対しても『ぜってぇ敗けねぇ! 全員で向かってくぞ! 』って気迫を前面に出して戦って。試合が終わって控室に戻ると、みんなスパイクも脱がずにぐったりして動けなかったんです。それくらい、やりきったってことなんです。

 試合には敗けましたけど、ああいう戦いをできたことで恐怖心っていうのがチームからなくなって、いい状態で夏を迎えることができて。甲子園に出る上で重要な試合だったと思います」

 松崎が闘志を燃やし続ける上で幸運だったのは、関口清治が率いる盛岡大附も戦う集団であり、圧倒的な能力を誇るライバルに恵まれていたことである。