“ドーハの悲劇”でシステムを無視? カズが驚きの告白「ミーティング、ボーっとしていたのかな」

AI要約

元日本代表FWの三浦知良が、若き日の戦術への向き合い方を明かす。

1993年のアメリカ・ワールドカップ最終予選でのイラク戦でのエピソードを振り返る。

カズが当時のプレーについて振り返り、「システムとかじゃなくて自分がやる」と語る。

“ドーハの悲劇”でシステムを無視? カズが驚きの告白「ミーティング、ボーっとしていたのかな」

 元日本代表FWの三浦知良が、フジテレビ系列の「ワイドナショー」にVTR出演。若き日の戦術への向き合い方を明かした。

 1993年に行なわれた、アメリカ・ワールドカップのアジア最終予選に、26歳だったカズは日本代表として出場。ハンス・オフト監督が率いていた日本は、イラクとの最終戦で終了間際に追いつかれて2-2の引き分けに終わり、目前まで迫っていた本大会初出場を逃した。

 いわゆる“ドーハの悲劇”として知られるイラク戦で、オフトジャパンは4-3-3のシステムを採用。カズは左ウイングで出場していた。

 ただ、本人には4-3-3でプレーしている意識はなかったようだ。後に、日本代表でチームメイトだった北澤豪氏から「今、(4-3-3は)流行っているけど、あの時からやっていたんですよ」と振られ、話がかみ合わないという。なんとカズは、中山雅史との2トップだったと認識していたのだ。

 自身が右や真ん中でもプレーしていたと言うと、北澤氏に「自由にしていた、あなたは。そこを埋めていたのが俺たちなんだ」と告げられたと明かしている。

 カズは、当時のプレーについての考え方を、こう回想する。

「俺がやるだけって思っていたの。システムとかじゃなくて。自分がやる。自分がゴールする、自分がドリブルで抜く、センタリングする。他に何があるんだと思っていたの」

 そして、「本当に覚えていないの、ミーティングって。ボーっとしていたのかな」と笑った。

構成●サッカーダイジェストWeb編集部