ソフトバンク、交流戦Vは逃すもパ・リーグ一人旅 光った小久保監督の危機管理能力 柳田悠岐離脱、山川穂高の不調でも次々に〝代役〟が活躍

AI要約

ソフトバンクは交流戦を12勝6敗の貯金6で終え、優勝の可能性まで想定外に迫るも楽天に1ゲーム差で届かず。苦しい状況を乗り越え、若手選手の力も発揮してチームが立て直された。

交流戦を前に調子を落としていたが、特に柳田選手の重傷や主力選手の不調に直面。しかし、監督の迅速な対応と若手選手の活躍によってチームは打撃力を維持し、好成績を収めた。

若手選手の活躍や選手層の厚さが際立った交流戦。投手陣の安定した活躍もあり、ソフトバンクは1強の地位を確立し、チーム力を高めた。

ソフトバンク、交流戦Vは逃すもパ・リーグ一人旅 光った小久保監督の危機管理能力 柳田悠岐離脱、山川穂高の不調でも次々に〝代役〟が活躍

 ソフトバンクは交流戦を12勝6敗の貯金6で戦い終えた。優勝した楽天には1ゲーム差及ばず、9度目の頂点こそ逃したが、〝2勝1敗ペース〟で貯金を増やした。パ・リーグ2位の日本ハムとの差は交流戦前の4・5ゲーム差から8・5ゲーム差に拡大。小久保裕紀監督は「優勝の可能性まで来たのが想定外だった。最低(勝率)5割でやってきたのでこれで一区切り」と十分な手応えをつかんでいた。

 得意の交流戦とはいえ、小久保監督の言葉通りに決して楽観できるものではなかった。交流戦直前にはロッテに敵地で同一カード3連敗。3試合で2点しか取れなかった。パ・リーグ同士の対戦が一区切りし、「(交流戦に入れば)雰囲気が変わるし、全く別物の野球になる。切り替えるというほどではないが、勝手に雰囲気が変わるから。それをよしとしましょう」と努めて前を向いていた。

 交流戦、最初のカードは巨人3連戦(東京ドーム)。初戦を取り、連敗は止めたが、2、3戦目を落とし、カード負け越しでスタートした。特に3戦目は5点を先行しながら大逆転負け。また守備時に三森大貴が右手人さし指を骨折し、重たい空気が漂った。牧原大成に続き、二塁手のレギュラー候補が離脱した。

 さらに最大の悪夢が5月31日の広島戦(みずほペイペイドーム)で待っていた。3回に柳田悠岐が二ゴロを放った際、一塁ベースに倒れ込んだ。右ハムストリングを痛め、途中交代。小久保監督はその瞬間から次の手に頭を巡らせた。

 「今日はほとんど試合を見ていなかった。采配どころじゃなかった。柳田のことをどうしようかというところで。こうなったときに明日からどう立て直すか。どれが一番オーダーとして得点できるか」。球団と掛け合い、2軍で好成績を残していた佐藤直樹の支配下復帰を即決した。

 翌6月1日の同カードで1番で登録即スタメン起用。佐藤直も結果で応えた。小久保監督は「2軍の試合はずっと(映像などで)見ていたので。タイミングが今日だったけど、近いうちに(支配下)という話しは上がっていた。迅速な対応で、フロントの方にはお礼を言いました」と話した。

 柳田は右半腱(けん)様筋損傷と診断され、全治まで約4カ月と長期離脱が決まった。好調のチームを支えていた山川穂高、近藤健介との「YYK」クリーンアップは解消。代わって、3番には5月の月間MVPにも輝いた栗原陵矢が入った。ただ、山川は交流戦18試合でノーアーチと不調。近藤も6月12日のヤクルト戦(同)で守備時に右手を負傷と苦しい状況は続いた。

 このピンチを救ったのは若い力だった。ドラフト3位ルーキーの廣瀨隆太は15試合でスタメン起用された。プロ初安打まで17打席を要したが、小久保監督は我慢を続け、14日の阪神戦(同)ではプロ初本塁打も飛び出した。小久保監督が2軍監督時代から期待していた高卒4年目の笹川吉康も1軍デビュー。初スタメンとなった14日の阪神戦(同)ではプロ初安打、翌15日の同カードではプロ初本塁打と大器の片鱗を見せた。

 笹川のスタメン起用について、小久保監督は「(14日に)スタメンでいこうというのは今週の頭から決めていた。その前にちょっと緊張をほぐすためにも、代走や守備固めで使えればいいなと思っていたので」と説明。12日のヤクルト戦(同)で途中出場させ、スタメン起用への〝下地〟もつくっていた。開幕から2軍暮らしが続いていた柳町達も5月28日に昇格すると、交流戦打率3割5分1厘と外野の一角にはまった。

 交流戦の18試合で、2位から5位まではぐっと詰まったが、ソフトバンクは1強状態を築き上げることに成功した。交流戦は「誰かが悪くても、誰かがカバーすれば打線として成り立つ」と力を込めた。投手陣は大きな離脱者はなく、引き続き好調をキープしている。打線も主軸と若手の融合で交流戦も勝ち星を積み重ねた。(小畑大悟)