【ラグリパWest】成長に資する2年目。ナナイロプリズム福岡

AI要約

ナナイロプリズム福岡は女子7人制ラグビーのリーグで年間総合6位に終わった

チームに影響を及ぼした選手の不在や外国籍選手の移籍などの要因が挙げられた

チームは精度とボール保持に磨きをかけ、次回に向けて準備を進める

【ラグリパWest】成長に資する2年目。ナナイロプリズム福岡

 ナナイロプリズム福岡の成長のために必要だった。2年目の国内シリーズである。

 愛称「ナナイロ」は年間総合順位を6位とした。昨年の4位から順位を2つ下げた。女子7人制ラグビーの「太陽生命ウィメンズセブンズシリーズ2024」である。

 4戦で構成されるシリーズは、勝ち点の合計で年間総合優勝を決める。ナナイロの勝ち点は44。優勝した、ながとブルーエンジェルス(略称:ながと)は72だった。

 ナナイロは最終第4戦の大阪・花園大会で4強戦と3位決定戦で連敗する。ながとには7-35、年間総合2位の三重パールズには5-36。開催日は5月25、26日だった。

 グラウンド内でナナイロを率いたのは主将の小笹知美(こざさ・ともみ)だった。

「彼女が一番動いていますね」

 濵村裕之は話す。ナナイロの分析担当だ。映像を通しても、FW小笹の攻守に体をぶつけ、ボールに絡むその凄みがわかる。

 濵村は2011年のワールドカップで男子15人制日本代表の分析を担当した。その時のチームドクターは村上秀孝。5年前、ナナイロを福岡・久留米で立ち上げた中心であり、CEO(最高経営責任者)でもある。

 ナナイロのヘッドコーチ(監督)は桑水流裕策(くわずる・ゆうさく)。2016年のリオ五輪で7人制日本代表の主将だった。チームの中心になり最高4位に入賞させる。

 その世界を知る3人が集まっても、勝たすことは難しい。敗北の理由を小笹は172センチの長身から汗をしたたらせて語った。

「大きいのは知春さんの存在です。経験値が違います。うまくいっていない時、どうにかする力が知春さんにはあります」

 中村知春。7人制と15人制の両方の日本代表経験がある。今年、楕円球歴は15年目に入った。ナナイロが創設された時、選手間の軸になったのはこの中村だった。

 昨年、シリーズ4戦すべてを戦えるコア・チーム昇格1年目ながら、年間総合4位に食い込んだ。この中村の存在が大きい。

「去年は知春さんも含め全員が出られました」

 小笹は振り返る。

 中村は今年のシリーズ、4戦すべてに不参加だった。7人制日本代表の遠征と重なったためである。今年は7月下旬にパリ五輪が開かれる。そのため、イレギュラーなシリーズになった。最終戦の花園大会も昨年より1か月近く前倒しされることになった。

 この不利はなにもナナイロに限ったことではない。ながとは4人が不在だった。ただ、ナナイロにすればチームの柱石だった中村の離脱は大きい。また、15人制の香港遠征と重なり、弘津悠(はるか)と香川メレ優愛ハヴィリもこの花園大会は不参加だった。

 小笹は戦術的な部分も言及する。

「外で獲り切れる外国人がいなくなりました」

 昨年、フィニッシャーだったタイ出身のジラワン・チュトラクンは、ながとに移籍した。チーム唯一の外国人選手だった。

 このシリーズでは、同時に3人の外国籍選手がグラウンドに立つことが認められている。ナナイロは新しい外国人選手の獲得を検討したこともあった。CEOの村上は日本人のみで戦った理由を説明する。

「このメンバーで勝つやり方を考える、ということですね。それがひいては日本代表の強化につながると思っています」

 金銭でカタがつく、一時的な強化は考えない。それはチーム永続の点から見ればためにはならない。57歳の村上は整形外科医であり、福岡・田川の村上外科病院の院長をつとめている。その視座は高い。

 ヘッドコーチの桑水流は、そのチーム方針に添い、一発でトライを獲るのではなく、フェイズを重ねてトライをとる方向にシフトした。能力的に劣る分、全員ラグビーを掲げる。それは中村へのチーム依存からの脱却にもつながる。ただ、トライゲッターの移籍から半年ほどで結果を残すのは難しい。

「ディフェンスにひびを入れることはできましたが、それを広げるところまではいきませんでした。アタックの精度を上げ、我慢して獲りきらないといけません」

 その点において、チームの指令塔でもある永田花菜(はな)の最終4戦目での復帰は大きい。SOで7人制日本代表でもある永田は左ヒザのじん帯断裂が癒えた。

 27-0とした8強戦の追手門学院大戦、前半2分、ディフェンスを引きつけて、右足でライン裏にパントを上げる。このキックを起点に最後は小笹が先制トライを挙げた。

 永田と同じ日本代表を30年ほど前に経験した父兄もナナイロにはいる。最終第4戦の花園ラグビー場には弘津の父・英司が娘の不在にも関わらず、応援に駆けつけた。

「娘がお世話になっているんでね」

 感謝を形に変えたこの父はタテに強いHOとして、日本代表キャップひとつを得た。

 父は同志社大から神戸製鋼(現・神戸S)に進み、日本選手権と全国社会人大会(リーグワンの前身)の7連覇を支えた。1995年のワールドカップにも選手として加わった。

 娘のことを問われ、目じりを下げる。

「中村さんや小笹さんや白子さんらに可愛がってもらって、楽しそうにやってるわ」

 白子とは白子未祐。弘津の5歳上で、7人制の日本代表にも選ばれた。勤務先は同じ九州風雲堂販売。各種の医療用機器を取り扱っている。

 才能は集まり、チームの雰囲気はいい。このシリーズを振り返り、精度とボール保持に磨きをかける。それができれば、負けは負けでなくなる。医療系が母体となっているチームだけに、「良薬は苦し」になればいい。

(文:鎮 勝也)