「白牙会」拠点 DVDに 茨城県洋画の黎明伝える 水戸市立博物館制作

AI要約

茨城県初の洋画団体「白牙会」の事務所が老朽化のため取り壊され、同市立博物館が室内を撮影した写真や動画からDVDを制作。茨城洋画界の礎を築いた画家たちの拠点を記録し、共に紹介している。

「白牙会」は1924年に菊池五郎、林正三、寺門幸蔵によって設立され、洋画の普及に努めた。特に菊池は東京美術学校を卒業後、活動を水戸に移し、同会のリーダーとなった。

同会の事務所は菊池のアトリエに置かれ、展覧会や絵画教室の拠点として活用されたが、建物は老朽化し、今年4月に取り壊された。

「白牙会」拠点 DVDに 茨城県洋画の黎明伝える 水戸市立博物館制作

100年前に茨城県水戸市で設立された同県初の洋画団体「白牙会」の事務所が今春、老朽化のため取り壊された。同市立博物館は、茨城洋画界の礎を築いた画家たちの拠点を記録に残そうと、解体前に撮影した室内の写真や動画を基にDVDを制作。吹き抜けのアトリエやデザイン性に富んだ内装が画家たちの近影と共に紹介されるなど、茨城洋画の黎明(れいめい)の空気を伝えている。

県近代美術館や市立博物館などによると、同会は1924年、茨城県出身の菊池五郎(1885~1950年)、林正三(1893~1947年)、寺門幸蔵(1895~1945年)の若手洋画家3人によって創立された。東京の美術学校や画塾に学んでいた3人は、関東大震災を機に帰郷したところ、洋画家が十分に活躍できる場がないことを知り、自らが美術展を主催して洋画の普及に努めることを決意した。

このうちリーダー格の菊池は旧水戸藩士の五男として生まれ、兄で小説家の菊池幽芳の支援で東京美術学校に進学。卒業後、東京・向島の水戸徳川邸にアトリエを設けて制作に励んでいたが、震災で水戸に戻り、同会の活動をけん引した。

同会の事務所は、1924年に新築した木造2階の菊池のアトリエに置かれ、展覧会の打ち合わせを行うなどサロン的役割を担った。同会解散を受け、72年ごろまで絵画教室として活用。会員の画家らが社会人や学生の指導に当たった。絵画教室の閉鎖後、建物は菊池の親族が管理していたが、天井や床の傷みがひどくなり、今年4月に取り壊された。

同博物館は、茨城洋画界の発展に寄与した施設を後世に伝えようと、菊池の遠縁で土地・建物を管理する山田純子さん(65)の協力を得て、解体前の2月に室内をスチールや動画で撮影。編集作業などを経て、DVD「白牙会のアトリエ~100年の時空を超えて~」として完成させた。

収録時間は約7分。吹き抜けのアトリエをはじめ、アールが施された天井や出窓、休息した畳部屋などが、創作にいそしむ画家たちと共に紹介されている。

制作の中心となった同博物館の元館長、坂本京子さんは「菊池五郎らが過ごした建物の空気を味わってほしい」と強調。山田さんは「DVDを通じ、茨城県洋画の礎を築いた画家たちを知ってほしい」と願いを込めた。

問い合わせは同博物館(電)029(226)6521。

★白牙会

茨城県初の洋画団体。1924(大正13)年、同県出身の菊池五郎、林正三、寺門幸蔵の若手洋画家3人によって創立。名称は心が通い合う友情を意味する中国故事「伯牙断琴(はくがだんきん)」にちなみ、「白画」や「白芽」にも通じるとして付けられたという。