新城幸也56位 パリ五輪自転車「感慨深い」

AI要約

パリ五輪自転車競技で新城幸也が4度目の五輪を完走し、独走を許すも終盤まで集団に食らいつく姿を見せた。

新城は21年経って日本代表として走ることに感慨深く、最後の五輪になるだろうと示唆した。

自転車競技を志す若い人に覚悟を持って取り組むことの重要性を強調し、第二の新城幸也の誕生を願っている。

 パリ五輪自転車競技は3日(現地時間)、トロカデロ広場を発着点に郊外を走る273㌔のコースで行われ、石垣市登野城出身の新城幸也(39)=バーレーン・ヴィクトリアス=が6時間28分31秒で完走した。先頭から8分57秒遅れの56位(90人中)で自身4度目の五輪を終えた。単騎出場ながら健闘した。

 序盤からメイン集団に入ったが、アタック(集団の人数を振るい落とす行為)を許し、トップと10分以上の差が空いたところで「厳しくなる」と自覚した。

 過去最長の距離が設定され、勾配6・3%のサン・レミ・レ・シェブリューズ峠など難所が連続する厳しいコース。標高130㍍とパリで最も高いモンマルトルの丘が「勝負どころになるのは分かっていたが、今の自分の力では及ばなかった」。

 初優勝を決めたエベネプール(ベルギー)に独走を許したが、終盤まで集団に食らいつく意地を見せた。

 出場中最年長の大ベテランは「準備できることは全てやった。感慨深い」とうなずく。

 6時間を超える過酷なレースを終えると、アンドラ公国の自宅でサポートしてくれた妻美和さんを静かに抱き寄せた。

 八重山高を卒業後、父貞美さん(70)の知人だったロードレーサー・福島晋一氏に才能を見込まれ、単身で渡仏。島からは異例の自転車留学で、専門的な指導を受けた。

 北海道・稚内から波照間島までとほぼ同じ3500㌔を走るツール・ド・フランスで2度の区間敢闘賞を受賞。国内外でタイトルを総なめにしてきた。

 12年ロンドン大会から4大会連続で五輪出場を果たし、前回の21年東京大会では35位にまで順位を上げた。

 新城は「(渡仏から)21年経って日本代表として走るなんて思ってもいなかった」。初のメダル獲得こそ逃したが、集大成に胸を張る。

 自身の名を冠した自転車コースが設置されるなど、石垣島にとって誇りとも言える存在。

 去就については明言しないが「最後の五輪になるだろう」と繰り返し示唆する。

 「自転車競技を志す若い人に伝えたい。覚悟を持って取り組めば、叶うことがあると」。第二の新城幸也の誕生を願った。(赤松拓実)