徳田虎雄氏が死去 徳洲会創設「生命だけは平等だ」 元衆院議員、奄美各地に病院開設

AI要約

医療法人「徳洲会」グループ創設者で元衆院議員の徳田虎雄氏が神奈川県内の病院で死去した。86歳。ALSを患い、闘病中だった。徳田氏は「生命(いのち)だけは平等だ」という理念の下、国内最大級の医療グループを築き上げた。

医療改革を政治力で実現しようとした徳田氏は衆院議員として4期を務め、奄美群島を二分する激しい選挙戦を繰り広げた。村山内閣で沖縄開発政務次官にも就任し、2005年に政界を引退した。

奄美出身である徳田氏は12年に奄美大島を訪れ、奄美への思いを語った。徳洲会広報によると、葬儀は家族で執り行われるが、後日「お別れの会」が開かれる予定。

徳田虎雄氏が死去 徳洲会創設「生命だけは平等だ」 元衆院議員、奄美各地に病院開設

 全国規模の医療法人「徳洲会」グループ創設者で、元衆院議員の徳田虎雄(とくだ・とらお)氏が10日夜、神奈川県内の病院で死去した。86歳だった。鹿児島県徳之島町出身。2002年に難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症、闘病中だった。

 徳田氏は大阪大医学部卒。1973年に大阪府松原市に徳田病院(現・松原徳洲会病院)を開設した。75年には医療法人徳洲会を設立。「生命(いのち)だけは平等だ」の理念の下、病院を全国に展開し、一代で国内最大級の医療グループを築き上げた。86年に地元の徳之島町で徳之島徳洲会病院を開設したのを皮切りに、奄美群島各地に病院・診療所を建設した。

 「医療改革には政治力が必要」との考えから、83年に旧奄美群島区から衆院選に初挑戦するも落選。再度の落選を経て90年の衆院選で初当選し、通算4期務めた。

その間、自民党の保岡興治氏との奄美群島を二分する激しい選挙戦は「保徳戦争」と呼ばれた。95年には村山内閣で沖縄開発政務次官に就任。2005年に政界を引退した。

07年南海文化賞。13年に徳洲会グループ理事長を退任し、20年に名誉理事長に就いた。瀬戸内町、徳之島町、天城町、伊仙町、和泊町、知名町、与論町の各名誉町民。

 12年11月に奄美大島を訪れた際、本紙のインタビューに徳田氏は「私がここまで頑張ることができたのは『郷里・奄美』の心を持ち続けたことにある。琉球支配、薩摩支配、アメリカ支配という奄美の長い苦難の歴史から、私は人として生きる根本、原則を学んだ」と奄美への思いを語っていた。

 徳洲会広報によると葬儀は徳田家ら近親者で執り行う。徳洲会として後日、「お別れの会」を開くことを検討している。