ラジオ屋だからわかる「とてつもなく恐ろしいもの」 塀の向こう側の「音」から観る「関心領域」

AI要約

映画「関心領域(The Zone of Interest)」は音を重視した作品で、ナチス親衛隊のアウシュヴィッツ強制収容所を舞台に、厳格な所長とその家族の日常を描いている。

隣接する両極端の世界が塀で分かれている中、所長と家族の一般的な姿と、収容所で行われる大量虐殺の光景が交差する。人々の喜びと苦しみが重なり合う描写が印象的。

映画は戦争の犠牲と人間の複雑な心情を浮き彫りにし、戦争の罪悪感を深く問いかける作品として、現代にも重要なメッセージを残している。

ラジオ屋だからわかる「とてつもなく恐ろしいもの」 塀の向こう側の「音」から観る「関心領域」

 TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽や映画、演劇とともに社会を語る連載「RADIO PAPA」。今回は映画「関心領域(The Zone of Interest)」について。

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 僕はラジオ屋だからわかる。この映画は音の作品だ。微かな音がいつも流れている。幸福な風景から目を逸らせ、目を閉じて耳を澄ませばその音はとてつもなく恐ろしいものだとわかる。救いを求める悲鳴や容赦のない乾いた銃声、追い立てる犬の鳴き声が牧歌的な映像と重なっている。

 映画タイトル「関心領域(The Zone of Interest)」とは、ナチス親衛隊がポーランドのアウシュヴィッツ強制収容所群を取り囲む地域を呼んだ言葉。1945年、関心領域には二つの世界があった。両極端のそれらは隣接し、一列の塀と有刺鉄線で区切られている。

 厳格なカトリック教徒を父に持つルドルフ・ヘス収容所所長の邸宅には妻ヘートヴィヒ自慢の美しい庭園があり、鳥がさえずり、温室では野菜が栽培され、近くの川で子どもたちは川遊びをしている。

 塀の向こう側にある煙突の黒煙は何だろうと観客は思う。そういえば、所長宅に技術者が招かれていた。技術者は焼却炉をいかに効率よく稼働させ、「積み荷」を焼却できるかを所長にプレゼンしている。もしかしたら、「積み荷」とはユダヤ人のこと?

 妻は毛皮のロングコートを着て鏡に向かってうっとりポーズをとっていた。毛皮はユダヤ婦人から奪ったものなのか? 絵本の傍らで子どもがどこから手に入れたのか入れ歯をカチカチ鳴らして遊んでいる。それもユダヤ人のものなのか?

 ヘスがいつものように子どもを川で遊ばせていると、上流から灰が流れてきた。彼は大急ぎで子どもを家に連れ帰り、浴槽で灰を洗い流した。灰がユダヤ人の遺灰であることはもはや明確である。

 このシーンから私の中で塀の向こう側の「音」が増幅された。「無間地獄=ホロコースト」の音。裸にされ、髪を剃られ、シャワーを浴びせられ、ガス室に送られる人々の阿鼻叫喚。もう一つ、ゴーッと轟音が通底していたが、それは焼却音だった。

 ヘスは親衛隊上層部からの異動通達に悩む。手塩にかけた収容所を去れという。それを知った妻は半狂乱になって私は子どもたちとこの地に残ると訴える。このまま幸せでいたいと懇願する。そんな姿はどこにでもある中間管理職一家そのものだ。その普通さが虐殺者、略奪者のイメージと同一化し、人を悪魔にする戦争の罪を突き付ける。

 このところヘスは胃の調子が悪い。医者の診察を受ける。親衛隊の制服を着て庁舎に上がり、階段で嘔吐までする。天罰だ。彼はここまでだと思ったが、敗戦後、ヘスは戦犯として絞首刑になったと知った。

 映画ラストに博物館を掃除する職員の姿が映し出された。彼らの向こうには膨大な髪の毛とメガネ。展示されていること自体が戦争は今も続いているとこの作品は訴える。

 この映画を観終わり、ホームで電車を待っていると貨物列車が目の前を通過した。80年前、長々としたこのような列車で人々が「積み荷」として運ばれたのだと思い、時の揺らぎに眩暈がした。

(文・延江 浩)

※AERAオンライン限定記事