桂由美が語っていた「ある有名人」の「究極の結婚式」とは? 日本にウェディングドレスを広め、ホテルや式場にまで影響

AI要約

桂由美さんは日本のブライダルデザインの第一人者であり、ウェディングドレスを根付かせた先駆者だった。

ウェディングドレスでの挙式は日本ではなかなか受け入れられず、苦労したが、有名人の結婚式が転機となった。

ロイヤルウェディングの影響で桂由美さんのブライダル専門店や婚礼業界にも多大な影響を与えた。

桂由美が語っていた「ある有名人」の「究極の結婚式」とは? 日本にウェディングドレスを広め、ホテルや式場にまで影響

 今年4月26日に94歳で亡くなった桂由美さんは、日本にウェディングドレスを根付かせたブライダルデザインの第一人者であり、日本のブライダル文化を牽引してきた先駆者だった。

 しかし、ウェディングドレスでの挙式は、和装が主役の日本の婚礼の現場ではなかなか受け入れられなかったそうだ。

 桂さんは60年代前半、百貨店にウェディングドレスの取り扱いを提案したが、ドレスは売れても着物の売上の10分の1にしかならないと断られ、泣いて悔しがったという。64年に自身のブライダルサロンを完成させたものの、初年度の来店者は300人、注文は30件。ドレスでの挙式を決めた女性が、親族から「絶対に和装しか許さない」と言われ泣く泣くキャンセルをしなければならなくなったこともあり、日本の社会で理解はなかなか進まなかった。

 そんな苦境のなか、ある有名人の結婚式が婚礼業界に大きな転機をもたらした。当時の様子を読売新聞記者に語った『ブライダル革命 桂由美 美と幸せ輝くウェディング』(読売新聞アーカイブ選書)のなかで、桂さんは以下のように振り返っている(以下は同書から抜粋)。

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 有名人の結婚式は何かと注目を集めますが、いまだに多くの人の記憶に残っているといえば、英国のチャールズ皇太子とダイアナ妃の結婚式でしょう。

《1981年7月29日、ロンドン市内のセントポール寺院で行われたロイヤルウェディングは、市民約120万人が集まった。また世界で8億人が視聴。日本でもNHK、民放など5局が生中継する関心の高さだった》

 ダイアナ妃がどんなドレスを着るかは当日まで秘密になっていたので、期待に胸が膨らんでいました。登場した20歳の初々しいダイアナ妃はアイボリーシルクのドレス姿。大きなちょうちん袖で、胸の周りと袖口には薄いレースを幾重にも重ねたフリル。ウエスト部分を絞りこみ、スカートが膨らんだスタイルで、表面に縫いつけられた真珠とスパンコールがきらきら光っていました。

 圧巻だったのが、トレーン(ひきすそ)の長さです。7.5メートルもあり、介添役の女の子たちがトレーンを持っていました。テレビカメラが上や後ろからも映していたので、すそがいかに長いかが分かります。あんなにすその長いウェディングドレスを初めて見たという人も多かったようでした。

 さらに、頭にはダイヤなどを使ったティアラ(宝冠)が輝いていました。

 すべてが完璧といっていいほど美しく、「現代のおとぎ話」ともいえる究極の結婚式でありました。

 このロイヤルウェディングは後日、私の店だけでなく、婚礼業界にも多大な影響を与えたのです。

 例えばティアラは、私が64年に初のブライダル専門店を開いた時から扱っていました。貸し出しができるようにと、わざわざロンドンで特別に注文した品を二つ、店に並べておいたのです。しかし、借りる人はおらず、店の片隅でねむっていました。

 ところが、この結婚式を境に急に女性の注目が集まるようになったのです。「ティアラはありますか」という問い合わせが相次ぎました。店にも「私もティアラをつけたい」という女性が次々にやってきました。