クドカン作品『季節のない街』が秀逸…原点の黒澤明映画『どですかでん』公開後に起きていた“悲劇”

AI要約

宮藤官九郎が脚本・監督を務めたドラマ『季節のない街』は、12年前の災害によってできた仮設住宅の「街」を舞台に、世間の言う“ちゃんとしていない”人々の群像劇を描いている。

黒澤明監督が1962年の山本周五郎原作小説を映像化した映画『どですかでん』の製作過程や評価、それに伴う影響について、興行的失敗から黒澤監督の苦悩、そして復活に至るまでの経緯を紹介している。

クドカンと黒澤監督の作品の転機や重要性、今後への期待について、それぞれの作品がどのように彼らのキャリアに影響を与えたかに焦点を当てている。

クドカン作品『季節のない街』が秀逸…原点の黒澤明映画『どですかでん』公開後に起きていた“悲劇”

宮藤官九郎が脚本・監督を務めたドラマ『季節のない街』(テレビ東京系)が秀逸だ。

物語は、12年前の“ナニ”という災害によってできた仮設住宅の「街」が舞台。酔った勢いでお互いの妻を交換してしまう土木作業員たちや仮設住宅にすら入れないホームレス親子、電車になりきる若者とその母親といった、世間の言う“ちゃんとしていない”人々を描いた群像劇だ。

「“ナニ”とは、おそらく東日本大震災を指しており、いつ行政から立ち退きを命じられるかもわからない状態で、貧しい人々が身を寄せ合うように生きている。そんな中、ホームレスの男の子が食あたりで亡くなったり、叔父から性被害を受ける女性がいたりと、毎回、目を背けたくなるような悲劇が起きますが、クドカンのポップな演出で、秀逸な群像劇に仕上がっています。

昨年8月に『Disney+』で全10話独占配信され、話題になりました。地上波初となった今放送でも、SNSには《ひたすらシリアスで重い話なのにコメディでしっかり笑わせるクドカンの緩急がすごい》《1回30分放送なのに内容濃すぎ》《出てくる役者が豪華で、皆演技力が凄すぎ!》などと、絶賛されています」(テレビ誌ライター)

原作は1962年に朝日新聞に連載された山本周五郎原作の同名小説で、黒澤明監督が映像化している。1970年公開の映画『どですかでん』で、当時は、黒澤映画初のカラー作品ということで大きな話題を呼んだ。

「日本映画低迷期に、なんとかその流れを打開しようと1969年に黒澤、市川崑、木下恵介、小林正樹という4人の巨匠で結成されたのが映画制作プロダクション『四騎の会』でした。この4人で『どですかでん』が製作されることになりましたが、市川、木下両監督が『話が暗い』と反対し、結局、黒澤が単独で監督することになったのです」(映画雑誌編集者)

しかし、スポンサーがつかず、黒澤監督は自宅を抵当に入れてまで製作費を捻出する。そして、当時、東京都江戸川区にあった約1万坪のゴミ捨て場にオープンセットを作り、建材もゴミの山から調達。わずか28日間で撮影を終えた低予算映画となった。ただ、映画自体の評価は決して悪くなく、第44回アカデミー賞外国語映画賞にもノミネートされるほどだったが、興行的に大失敗。

「黒澤監督は大きな借金を抱えることになり、翌年、自宅で自殺未遂事件を起こします。命に別状はありませんでしたが、黒澤監督自身がその理由を最後まで語ることはありませんでした。アメリカメディアは、1970年公開の日米合作映画『トラ・トラ・トラ!』の監督を途中で降ろされたことが原因だと報じます。

撮影が中断した理由として、アメリカ側の制作会社が一方的に『黒澤監督は精神的な病気になった』と発表。この時のショックで自殺を図ったのではないかと報じたのです。しかし、黒澤映画の名スプリクターで、映画『羅生門』から参加していた野上照代さんは、インタビュー記事(『シネマトゥデイ』’08年6月配信)の中で、自殺未遂は『どですかでん』の失敗が影響していると思うと語っています」(前出・編集者)

娘の黒澤和子さんも、『デイリー新潮』の記事『映画界の天皇「黒澤明」 衝撃のカミソリ自殺未遂の果ての栄冠』(’17年5月8日配信)の中で、このように語っている。

「むしろ父の憂いは日本映画の衰退に重なっていました。映画界を盛り上げようと努力し、責任も感じていた。自分が力及ばないと反省し、純真さゆえの脆さで少しずつ崩れていったのでしょう」

失意のどん底に陥った黒澤監督だが、この2年後、ソ連の映画会社と映画『デルス・ウザーラ』の製作に調印。1975年に公開されたこの映画は、第48回アカデミー賞で外国語映画賞を受賞し、完全復活を遂げている。

その後、『影武者』や『乱』といった映像美が世界的にも評価の高い映画を発表し、その名声は今に至る。

「初のカラー作品となった『どですかでん』は、色彩にこだわり抜いた映像の美しい作品としても知られており、その後の『影武者』や『乱』などの作品に大きな影響を与えたといわれています。黒澤監督にとって、苦しみ抜いた作品でしたが、復活のきっかけとなった作品でもあるのです」(前出・編集者)

一方のクドカン、『季節のない街』制作のきっかけについて、インタビュー記事(『MOVIE WALKER PRESS』’23年8月6日配信)の中で、20歳の頃に原作小説を読んで以来、思い入れのある作品だったと話し、

「あとから『俺はなにやったっけ?』と振り返った時に『季節のない街』は優先順位高く思い出すだろうなと思います。ずっと好きでやりたかった作品を形にできたので、間違いなく大きな節目になるドラマになったと思います」

と、語っている。黒澤監督同様、大きな転機となりそうだ。今後のクドカン作品にますます期待が膨らむーー。