「チャラ男」の原点 強烈な家族と思春期の一人暮らし お笑い芸人、すがちゃん最高No.1さん(下)

AI要約

お笑い芸人のすがちゃん最高No.1さんが一人きりで暮らした中学・高校生時代の経験や家族との関係を振り返る。

親父の個性や行動、家族の思い出、母親の存在について語られる。

親父の思い出、母親の記憶の欠落、親父の寂しさ、親父の亡くなり方について語られる。

「チャラ男」の原点 強烈な家族と思春期の一人暮らし お笑い芸人、すがちゃん最高No.1さん(下)

多感な中学・高校生時代を一人きりで暮らした、お笑い芸人のすがちゃん最高No.1さん(32)。一人、また一人…といなくなっていった個性強烈な家族とは一人暮らしになったあとも、縁が切れずにつながっていました。

■ふらりとくる親父が…

僕は引っ込み思案。ほかに家庭を作って出ていった親父とは、真逆の性格でした。

親父はよく、ナンパしていましたね。電車に乗っていても、横にいた女性に「姉ちゃん、かわいいな」って声をかけるんです。女性をたくさん褒めまくって、「番号、教えてよ」って。そんなとき、僕は親父の横で、中吊り広告に興味があるふりをして、目をそらしていました。

一人暮らしになってから、親父がたまに、ふらっと帰ってくることがありました。ある時、物をとりに行くため、久々に家の2階の物置に入ったら、かつて伯母が僕のために買ったクリスマスプレゼントを置いていた「思い出の場所」に、親父が持ち込んだエッチな本が大量に積まれていました。僕の思い出は汚されました。が、それからは、思い出に触発されて寂しさを思い起こすようなこともなく、物置に入れるようになりました。

母親が亡くなったのは、今からおよそ29年前。僕が3歳のとき。親父は当時、自動車販売会社の営業マンだったそうです。優秀だったようで、家には「年間ナンバーワン」とか書かれた賞状もありました。

その会社を辞めた後の仕事は、父いわく「ビッグなビジネス」。この世から地雷をなくすとか、石油の時代を終わらせるとか言っていましたが、何をやっていたのか、分からなかったです。

僕には母親の記憶が全くありません。親父からも一切、聞くことがありませんでした。家では、母親の話がタブーな感じだったんです。

そんな親父も令和3年8月、がんで亡くなりました。親族から聞いたんですけれど、親父は母親のことがすっごく好きで、寂しい、寂しいといつも言っていたそうです。でも僕の前ではそんなそぶりは全く見せなかった。もし母親が死んでなかったら、親父も、あんなふうになっていなかったかもしれないです。

■山形から東京へ