無口な古舘伊知郎を「実況の鬼」へと目覚めさせた、運命の昼休み
古舘伊知郎さんは子どもの頃は無口だったが、プロレス実況をする中で言葉が自然に出てきて才能を発揮し始めた。
言葉を収集する習慣は子どもの頃からで、プロレス関連の情報やキャッチーな言葉を積極的に集めていた。
若者言葉も収集し、言葉を豊かにする習慣を身に着けている。
言葉の魔術師として知られる古舘伊知郎さんが、自らを「平凡な人間」「ニセモノ」と語りながら、天才たちの中で生き抜いてきた方法とは。新著『伝えるための準備学』を上梓した古舘さんにインタビューした「後編」をお届けする。綿密な準備と、日常の中で見つけた言葉の収集術、そして開き直る姿勢に迫る。(構成/田之上 真、編集/三島雅司)
>>インタビュー「前編」を読む
● 無口から実況へ、 言葉が開花した瞬間
――著書『伝えるための準備学』によると、古舘さんはもともと話すことが苦手だったそうですね。
子どもの頃は無口でしたね。母と姉はよくしゃべり、僕はそれを黙って聞いているような感じで、自分自身、「無口」だと思い込んでいました。
それが変わったのは、立教高校時代です。ある日の昼休み、同級生がチャペルの中庭の芝生でプロレスをはじめたんです。
遊びとはいえ、次第にエスカレートし、ボールペンを凶器にして、額から血が流れ出るほどの流血の殴り合になりました。それで男子生徒がどんどん集まり、150人くらいたでしょうか。
戦いが白熱していく中で、その光景を見ながら突然、何かが自分の中で突き上げてきたんです。
「さあ、どうなる! このチャペルの鐘音を血みどろに染め抜いて……」とか、勝手に口から言葉があふれ出てきて、目の前で繰り広げられるプロレスを実況していました。
そしたら、周りの生徒たちから「オー! おまえ、実況うまいじゃん!」なんてほめられて、もううれしくて、うれしくて。俺、ウケるじゃんと。
僕は子どもの頃から自意識が強くて、だから口下手なので言いよどんだりすると、どう思われるのかとか、恥ずかしいという気持ちがすごく強かったんです。ずっとしゃべりが下手だという思いでジクジクしていました。もちろん、何かで発散したいという気持ちがあって、女の子にモテるとか、スポーツ万能とか、勉強がすこぶるできるとかなんでもいいんですが、でも何一つ青春のときめきがない悶々とした世界でした。
それが突然しゃべりで、活火山が噴火したような気持になったわけです。本当にひとすじの光が舞い降りたような気がして、そこから歯止めがきかなくなり、アナウンサーを目指すことになりました。
そのときに言葉がスムーズに次から次に出てきたのは、プロレスが好きだったからというだけです。毎週、テレビの実況を見て、無意識のうちにイメージトレーニングをしていたんだと思います。実際には口に出さないけれども、頭の中で実況していた。
『伝えるための準備学』ではないですが、やはり何もないところからは生まれないので、知らないうちに準備をしていたのでしょう。
● 若者言葉も収集、 言葉を豊かにする習慣
――古舘さんが次々に繰り出す言葉、言い回しなどはどのように収集、記憶しているのですか。
言葉が好きだというのは、子どもの頃に気づいていました。「少年マガジン」を買って、プロレスマンガやプロレスの特集を読んで、プロレスラーの情報を言葉で覚えて、それからプロレス自体を金曜夜8時に日本テレビで見ていました。
中学の3年間は毎日欠かさず「東京スポーツ」を買っていました。その中で「馬場、死のボート漕ぎ!」とか、キャッチーな言葉を収集していましたね。