カメルーン人の父持つお笑い芸人が感じた“孤独”「日本に復讐してやる」 NY修行での転機とは

AI要約

日本とアフリカを繋ぐミックスの芸人・武内剛が、自らのルーツを追求する旅を通して、孤独や差別と向き合う姿を映画化した。彼の若き日の葛藤や挫折、そして成長が描かれる。

ニューヨークでの演技学校を経て、日本に帰国し芸能界に進出した武内。その経験を活かし、自身の映画事業を立ち上げ、活動の幅を広げようとしている。

武内は、日本での若き日の孤独やハーフとしてのアイデンティティの葛藤を乗り越え、今は自らのルーツを誇りに思っている。映画を通して、日本と外国を繋ぐ架け橋としての活動に取り組んでいる。

カメルーン人の父持つお笑い芸人が感じた“孤独”「日本に復讐してやる」 NY修行での転機とは

 2歳の時に生き別れたカメルーン人の父を探しにイタリアに渡る旅をつづったドキュメンタリー映画『パドレ・プロジェクト/父の影を追って』(東京・新宿K’sシネマで8月31日公開)で映画監督デビューしたお笑い芸人「ぶらっくさむらい」こと武内剛(43)。その原点には、アフリカ人とのミックスとして日本で生まれ育つ中、孤立感があったと告白する。(取材・文=平辻哲也)

 武内は名古屋生まれ、名古屋育ちの43歳。母・信子さんは日本人、父はカメルーン人。両親は留学先のイタリア・ペルージャで恋に落ち、信子さんは帰国後の35歳で武内を出産。その後はイタリアで2歳の時に父と出会ったのを最後に、女手ひとつで育てられてきた。

「僕にきょうだいがいたら、違っていたのかもしれませんが、僕は日本で日本人として生まれながら孤立した部分がずっとあって、父親の存在から目を背けることができない部分があったんです。一時は母に反抗した時期がありました」

 20歳の時には母とけんかし、「日本に復讐してやる」と言い放ち、母を泣かせたこともあった。そのきっかけを聞くと、「僕は被害者のスタンスが好きではないので、本当はあまりに表に出したくないんです」と前置きし、こう話す。

「その前に工事現場で2年ぐらいバイトしていたんです。雇い主は大手ゼネコンの下請けの会社でした。ある日突然、親方に呼ばれて、『明日から違う現場に行ってほしい』と言われたんです。理由を聞くと、『この現場は外国人労働者NGらしい。元請けとトラブルになると、仕事が飛んでしまうので』ということでした。それで気持ちが追い詰められてしまい、母に思わず暴言を吐いてしまったんです」

 バイト先ではほかにも2度、見た目をめぐって、理不尽な扱いを受けたこともあるという。

「飲食店では、『ウエイターとして表に出せないから厨房をやって』ということもありました。その後、店長は僕の働きぶりを認めてくれ、芸人のライブにも見に来てくれました。こんな話をすると、人種差別だと激怒する人もいると思うんですが、日本には結構グレーな部分がありますし、枠からはみ出してはいけないという変な配慮もありますので、一概に差別というのは断定できないとは思うのですが……」

 そんな生きづらさを感じて、24歳の時に単身ニューヨークへ。名門演劇学校「HB studio」では3年間演技を学んだ。

「人種のるつぼのニューヨークに行ったことで、一気に息苦しさから解放された感じがしました。7年間も住んでいましたので、イヤなこともいっぱい見てきたんですけども、楽しかったです。もともとはミュージシャンを志したのですが、演劇学校に行って、歌や演技のレッスンを受けて、プロでやってみようと思って、ストリートミュージシャンをやったり、オフブロードウェイのお芝居にも出たりしました」

 アーティストの質の高さには驚かされたという。

「ニューヨークには世界中から天才たちが集まってきます。日本ならプロとしてやっていけるレベルのミュージシャンがストリートに出ています。自分の実力を考えると、ここでは無理だなと思ったんです。学校を卒業すると、学生ビザからアーティストビザに切り替える1年間の猶予期間があるのですが、ビザを取るためにはブロードウェイ作品に出演する、事務所とマネジメントを結ばないといけないのですが、そのチャンスに恵まれなかったんです」

 そんな時にエンタメ系に強い弁護士のコンサルティングを受けたのが転機になった。

「約100ドル、当時1万円ぐらいを払ったんです。その弁護士が真を突いたことを言ってくれたんです。『ニューヨークでは君みたいな見た目は珍しくないけど、日本だったら、珍しいし、君のアドバンテージになるんじゃないか。だから、日本に帰ることも考えてみたら』って。僕もそういう選択肢もあるんだと思って、日本に帰って、すぐに芸能事務所に入って、ぶらっくさむらいとして活動していくわけです」

 6月には映画公開に向けて起業し、代表取締役社長に就任した。

「サンミュージックにいた時は会社の看板もあったのですが、いざ独立してみるとやっぱり信用は大事だなと思って、会社組織にしたんです。今は映画事業しかやっていないのですが、銀行口座の残高が見る見る減っていくので、夏なのに凍える思いです」と笑う。

 社名は「株式会社ぶらっくかんぱにー」。

「社長のぶらっくさむらいが寝る間も惜しんで、身を粉にして世のため人のため働く、ホワイトなブラック企業です(笑)。できれば、もう1本、海外にルーツを持つ若者を追いかけたドキュメンタリーも撮りたいですし、今はインバウンドもすごく、日本で働きたい外国人の方も増えているので、就労サポートをする事業もやってみたい。僕は真面目な社会活動家ではないので、エンターテイメントを通して、日本と外国のちょっとした架け橋になれたらと思っています」

 10~20代にはミックスとして生まれてきたことに複雑な思いを持っていたが、ルーツを探る映画を撮った今、どのように思っているのか。

「ハーフの人に限らず、若い人にはいろんな悩みがあると思うのですが、大人になってからすごいラッキーというか、得する経験の方が多かった。僕も若い時には気づけなかった部分ですが、30~40代になると、意外と良かったなと思うかもしれないということは伝えたいです。両親には感謝していますし、生まれ変わっても、こういう感じで生まれたいと思います」とキッパリ。映画をきっかけに、活動の幅を広げていくつもりだ。

■武内剛(たけうち・ごう)1980年11月16日、愛知県・名古屋市生まれ。株式会社ぶらっくかんぱにー代表取締役。日本人の母とカメルーン人の父のミックスとして日本で育つ。 2004~2012年まで米ニューヨークで暮らす。名門演劇学校「HB studio」で3年間演技を学び、卒業後は演劇、ミュージカル、映画等に出演、シンガーソングライターとしても活動する。日本帰国後はお笑い芸人・ぶらっくさむらいとして、SMAよりピン芸人デビュー。『エンタの神様』『おはスタ』などに出演。R-1ぐらんぷり2017準決勝、第1、2回歌ネタ王準決勝進出。18年、サンミュージックに移籍し20年に独立。講演活動など活躍の幅を広げる中、23年に映画『パドレ・プロジェクト』で監督デビューを果たした。