40年以上のヒット曲なしは「理想の売れ方」 スターダスト☆レビューが歩む“音楽で生きる道”

AI要約

スターダスト☆レビューの根本要が自身の歌声に自信がなかった過去や小田和正との出会い、そして歌の技術を磨く過程を明かす。

バンドの歴史や名曲、根本要の歌声への自己評価を通じて、スターダスト☆レビューの歌の進化を紹介。

小田和正との出会いが根本要にとって歌の理想形を学ぶ機会となり、彼の歌声の広い愛され方を示す。

40年以上のヒット曲なしは「理想の売れ方」 スターダスト☆レビューが歩む“音楽で生きる道”

第1回【3~4組のバンドを掛け持ち、ルール全無視でコンテスト受賞… 根本要が語る「スターダスト☆レビュー」デビューまでの歩み】の続き

 結成から43年を超え、なお精力的にライブ活動を続けるバンド「スターダスト☆レビュー」。そのライブの面白さを、体験した人は異口同音に褒め称える。ボーカルとギターの担当でバンドの顔ともいえる根本要(67)は、ライブで客を楽しませ続けてきたことを自負する。そして、「単にヒットを出すだけの単一的な志向ではなく、自分のスタンスややり方で音楽を作っていける音楽業界にしたい」と、今後も自身のバンドを核にした音楽を続けていくつもりだ。

(全2回の第2回)

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 1980年代に出した「今夜だけきっと」、90年代の「木蘭の涙」……。今のライブでも歌われる名曲が綺羅星のごとくあるスタレビ。ハスキーな根本の歌声が広く賞賛されているだけに、「自分の歌は大っ嫌いだった」という根本の告白は意外にも感じる。

「歌はホントに下手でしたね。『ガンバレ!! タブチくん!!』のレコーディングをしているとき、スタジオで、僕が歌っていることを知らない作詞家さんが『この子、いい声してるけど、歌、下手よね~』と僕につぶやいたんです。もちろん自分が下手なのは百も承知だったけど、『俺って声がいいんだ』って、それが妙に嬉しくて」

 プロとして歌が下手なままでいいわけではないが、ギターはそれなりに上達する一方で「歌はどうやったらうまくなるのかが分からなかった」という。それでもデビューから10年近く経ち、1980年代の終わりになると、「バラードのスタレビ」という声も聞かれるようになっていた。まさに歌の比重が大きくものを言うのがバラードだ。1993年リリースの「木蘭の涙」は、バラードのスタレビを象徴するような曲にもなった。

 そうした中で、小田和正との出会いは根本の意識を変えた。1990年代の終わりに出会い、「ちゃんとお話ができるようになったのは2000年代に入ってから」だそうだが、その歌の技術は根本のようなプロの歌手にとっても圧巻だったという。

「プロとしてどんな歌手もそこそこちゃんと歌えるのは見てきたけど、小田さんは全然違うんですよ。隣で歌ってると余計にその凄さに気付くんです。歌の理想形みたいな人。だって鼻歌も上手いんですよ。鼻歌って、たいていの人はキーも適当で相手にも伝わりにくいけど、小田さんの鼻歌は完璧でちゃんと相手に分かるんです。

 それから例えばリハーサルでサビの部分をもう一度練習すると、たいていはその前の部分からなんとなく入って、サビになったらしっかり確認する、って感じでしょ。でも小田さんはその『なんとなく』の部分からちゃんと歌えちゃってるんですよ。まあ実際、小田さん的には適当なんだろうけど、僕らとスキルが完全に違いますからね」

「ここまでシビアに歌えるんだ」ということに気付かされ、歌を昇華させる際の学びになったという。そうした“進化”を経た今の根本の歌も、なお広く愛されているのだ。