「笑っていいとも!」「おもいっきりテレビ」に挑み撃沈…信じられない低視聴率で消えた“幻の番組”とは?

AI要約

1990年代半ば、帯番組の視聴率争いの中で果敢に勝負を挑んだ『まっ昼ま王!!』。豪華な出演者を起用し、曜日ごとに企画が異なる独自のスタイルを採用したが、想像を絶する低視聴率に終わる。

プロデューサーは『パオパオチャンネル』の成功経験からお昼の時間帯でもイケると考え、異例のスタイルを模索。出演者は中居正広から今田耕司、東野幸治、浅草キッドまで多彩な顔ぶれ。

売れっ子の放送作家や一流のスタッフが集結し、ギャラも十分だったが、結局は統一感が希薄で視聴者を掴めなかった。

「笑っていいとも!」「おもいっきりテレビ」に挑み撃沈…信じられない低視聴率で消えた“幻の番組”とは?

 1990年代半ば。月曜から金曜のお昼に放送される帯番組として、人気を二分していた『笑っていいとも!』(フジテレビ系列)と、『午後は○○おもいっきりテレビ』(日本テレビ系列)。壮絶な視聴率争いを繰り広げるこの時間帯に、果敢に勝負を挑んだのが『まっ昼ま王!!』(テレビ朝日系列)という番組だった。当時一線で活躍していた出演者を起用し、曜日ごとに企画がガラリと変わる豪華な内容にもかかわらず、“想像を絶する低視聴率”を叩き出し、現在インターネット上にもほとんど情報がない、幻の番組となっている。この番組の放送作家をしていた植竹公和氏に話を聞き、番組の全貌や敗因、帯番組成功のカギについて語ってもらった(一部、敬称略)。(ライター 橋本未来)

● 今田耕司、東野幸治、浅草キッド、神田正輝まで…! 人気タレント多数出演も大コケした番組の全貌

 1994年10月。当時、人気絶頂だった元SMAPの中居正広がレギュラーに加わり、さらなるパワーアップを遂げた『笑っていいとも!』と、中高年層の視聴者を根こそぎ獲得していた『午後は○○おもいっきりテレビ』が放送されていた時間帯に、本格派バラエティーとして始まったのが『まっ昼ま王!!』だった。植竹氏は、この視聴率激戦区に挑んだ理由を次のように話す。

 「この番組のプロデューサーは、夕方の子ども向け番組『パオパオチャンネル』(テレビ朝日系列)をヒットさせた方だったんです。18時台で20%を超えることもあるぐらいの人気でね。その経験があったから、お昼の時間帯でもイケると思ったんじゃないでしょうか。私も『パオパオ』の作家をやっていました」

 通常の帯番組は、メインMCが全曜日に出演するのが一般的だった。が、『まっ昼ま王!!』では、曜日ごとに出演者も企画も変える独自のスタイルを採用した。植竹氏は、「新しいと言えば新しいとは思うのだけど…」と前置きをしながら、番組立ち上げ当初に感じていた不安を教えてくれた。

 「一つの番組に複数の制作会社が関わることはあるんだけど、あの番組に関しては、曜日ごとに制作会社が別々だったんです。曜日によってカラーが出て良いだろうって思ったのかもしれませんが、やはり統一感という意味では希薄だったのかな。『いいとも』なら、スーパーバイザーという役割のスタッフが全曜日を統括していたけど、こっちはバラバラですから。だから僕自身、担当以外の曜日がどんなことやっていたのか、あんまり記憶にないんですよ(苦笑)」

 とはいえ、豪華な出演者を起用したことからも、テレビ朝日が社運をかけて挑んだ番組であったことは確かだろう。さらに、制作スタッフも一流がそろっていたという。

 「放送作家も売れっ子ばっかりが入ってね。ギャラも帯番組にしては申し分なくて。確か、金曜日は若手の注目株だった今田耕司、東野幸治、浅草キッドの2人。演出がテリー伊藤さんですよ。他の曜日に比べ、企画性がハッキリしていました。そういえば、神田正輝さんがプールで一生懸命、泳いでいた姿を鮮明に覚えていますね。一体あれは、なんの企画だったんだろうね(笑)」

 それほどの意気込みでスタートを切った番組だったが、苦戦を強いられたという。