話題作次々出演の俳優・岩谷健司、40代半ばまでは「バイト生活」 AD時代には国民的歌手を2時間待たせる大失敗「励ましてくれました」

AI要約

岩谷健司さんは演劇ユニットを結成した後、多くの小劇場に出演し、映画やテレビ番組にも出演している。

青森県出身の岩谷さんは映画好きで、アクション俳優になりたいと思って上京した経験がある。

岩谷さんがADとして働いていた頃のエピソードや、三波春夫さんとのエピソードも紹介されている。

話題作次々出演の俳優・岩谷健司、40代半ばまでは「バイト生活」 AD時代には国民的歌手を2時間待たせる大失敗「励ましてくれました」

WAHAHA本舗を経て、村松利史さん、岡部たかしさんとともに演劇ユニット・午後の男優室を結成した岩谷健司(いわや・けんじ)さん。

その後、CMディレクターで映画監督の山内ケンジさんの演劇ユニット・城山羊(しろやぎ)の会などに参加し多くの小劇場に出演。2019年の映画『岬の兄妹』(片山慎三監督)をはじめ、映画『ロストケア』(前田哲監督)、『共演NG』(テレビ東京系)、『Believe-君にかける橋-』(テレビ朝日系)などに出演。

映画『輝け星くず』(西尾孔志監督)が全国順次公開中の岩谷健司さんにインタビュー。

青森県で生まれ育った岩谷さんは、小さい頃から映画が好きで、ブルース・リーやジャッキー・チェンに憧れていたという。

「ちょうどカンフー映画ブームだったから、小さい頃はアクション俳優になりたかったんですよ。だから千葉真一さんがやっていたJAC(ジャパンアクションクラブ)に絶対入ろうと思っていました」

――青森から東京に出てくるためには、何か理由がないと難しかったのでは?

「そうです。高校を出て地元の大学に行くという選択肢もあったんですけど、田舎にいたくなかったから赤坂にあった制作会社に就職することにして上京しました」

――就職してみていかがでした?

「あっという間にもう出社拒否ですね。一応会社には来るんですよ。で、タイムカードを押してそのまま逃げて神社で一日中寝ているんですよ(笑)。氷川神社のベンチでずっと寝ていて、帰りにまたタイムカードを押して帰るっていう感じで。

でも、フジテレビの朝5時20分からの三波春夫さんが司会の『早起きチャンネル520』っていう番組があって、その中でいろいろなコーナーがあったんですよ。お笑いタレントのナポレオンズとか、そういう人たちが商店街を回ったりするのに付いて行ったりしていました。要はADですよね。ゲストの歌手が歌う準備を整えたりとか…大変でした」

――ADさんだと雑用のすべてというか、とにかくやることが多いですよね。

「そう。時代も時代でしたからね、本当に。今と違って下手すると鉄拳が飛んできたりしていましたよ。『邪魔だ!』とか言われて(笑)。

大失敗もありました。番組で三波先生が新宿御苑の赤い橋のところで歌うことになって。それを3カメで撮らないといけないんですけど、車からおりてその橋に向かっていたらスタッフが『車の中にインカムを忘れたから取りに戻れ』って言うんですよ。

戻った時点で迷子ですよ。全然違う出口から出ちゃったから車がどこにあるのかわからない。グルグル回ってようやく車を見つけて、中にあったトランクを持って橋のところに行こうとするんだけど戻れない。

全然わからないから田舎の母親に電話したんですよ。御苑の中に公衆電話があったんです。それで青森の母親に電話して、『母ちゃん、御苑の中の“赤い橋”ってどこだろう?』って(笑)。青森にいる母親がわかるわけがないのに、それぐらい焦っていたということですよね」

――お母さま、ビックリですよね。

「ビックリしていました。『わかんない、わかんない』って(笑)。そりゃあそうですよね。それで三波先生を2時間くらい待たせちゃって、ようやく橋のところに着いてトランクを開けたら、インカムじゃなくてドライバーセットが入っていたんですよ。インカムは入ってなくて(笑)。

同じようなトランクだったから間違えちゃった。それで『じゃあいいよ、俺が取ってくるよ』って先輩が取りに行ったら、ものの2分で帰ってきましたよ(笑)」

――2時間以上待たされていた三波春夫さんは大丈夫でした?

「三波先生もグッタリしていましたけど、俺がすげえ怒られているのを見て、そのあと一緒に食事会をしたんですよね。そうしたら目の前の席に俺を呼んでくれって言って。三波先生の前でご飯を食べることになったんですけど、『頑張ってね』って励ましてくれました。

三波先生は自分の番組だから気にしてくれたんでしょうね。それでとりあえず頑張って少しはやっていました。でも、やっぱり何かイヤだなと思って。そもそも、そんなにやりたくなかった。言い方が悪いですけど、東京に出てくる理由、親を騙すためのきっかけみたいなものでしたからね」