「愛人にしたいNo.1から国民のお母さんへ」橋本マナミ、デビューから現在までの半生を赤裸々に語る

AI要約
橋本マナミのグラビアデビューやバラエティー番組出演などの軌跡「愛人にしたい女No.1」「昼下がりの団地妻」としてのキャッチコピーの意味"シャベクリ007"などの出演で知名度を上げた経緯
「愛人にしたいNo.1から国民のお母さんへ」橋本マナミ、デビューから現在までの半生を赤裸々に語る

 テレビ、YouTube、CM業界などの放送作家として、数々のコンテンツを作り出してきた澤井直人(34)。今、ほかの誰よりも「人間」に興味がある平成生まれの彼が「今、話を聞きたい!」と思う有名人と対談する、好奇心と勢いだらけのインタビュー企画『令和にんげん対談』!

 第14回は、6月に第二子を出産したばかりの橋本マナミ(39)が登場! 「愛人にしたい女No.1」「昼下がりの団地妻」というキャッチコピーで、ブレイクしてから早10年。いまや二児の母となった橋本に、デビューから現在にかけての軌跡を、澤井が好奇心おもむくままに聞いちゃいます!

「実はグラビアが苦手だった」というデビュー当初から、旦那との馴れ初めや夫婦生活、子育ての悩み、そして美容健康法など、赤裸々に語ってくれました……!

澤井:実は20代のころ、好きな女性のタイプは「橋本マナミさん」と答えるほどで、今日お会いできるのをとても楽しみにしていました!もともと橋本さんはグラビアでブレイクされたんですよね。

橋本:20代半ばからグラビアを始めたのですが、実はグラビアは正直苦手だったんです(苦笑)。当時は実績も知名度もなかったので、仕事がグラビアしかないという、後に引けない状況で。気が進まずも仕事をこなしている中で、人気に火がついたきっかけが、『フライデー』のグラビアの撮り下ろしでした。

 それまで水着までしかグラビアを行っていませんでしたが、そこで「ポロリしようがどうでもいいや」って吹っ切れて、手ぬぐい一枚で撮影に挑んだんです。そうしたらかなりの反響を頂いて、グラビアのお仕事をたくさん頂けるようになったんですね。

澤井:セクシーさの原点は「吹っ切れたから」なんですね!

橋本:それから「愛人にしたいNo.1」「昼下がりの団地妻」というキャッチコピーをつけてもらい、テレビのバラエティーに進出できたんです。バラエティーってキャラがすごく大事じゃないですか。愛人キャラがあったからこそ、MCの方々や芸人さんも気軽に絡んでくれたのかなと思ってます。

澤井:たしかに「愛人」って気になるし、掘り下げたくなりますよね。ちなみに出演した番組で、印象に残っている番組はありますか?

橋本:転機となった番組のひとつは『サンデージャポン』ですね。そこでバラエティのいろはや、下からなめ回すようなカメラ回しを経験したりと、色々と学ばせてもらったなと。あと大きかったのは、2014年の冬に出演した『しゃべくり007』ですね。ここから地上波の依頼が増えて、世間的な知名度も上がった気がします。

澤井:しゃべくりでは、どんな内容を放送したんですか?

橋本:当時『しゃべくり007』では、「誰に口説かれた」など、暴露ネタのコーナーが人気だったんですよ。それで誰かを売ろうというわけではなく、番組を盛り上げるためにイニシャルトークをしていたら、ネットで「誰々が晒された」「この女は性格悪い!」ってめちゃくちゃ炎上して…(苦笑)。ありがたいことに仕事いっぱい来たんですけど、反省はしてます……!

澤井:悪気のない炎上商法ですね(笑)。

橋本:MCの上田さんに助けられた部分もありました。上田さんって相手を落とすわけでもなく、そんなに面白くないことでも突っ込んでくれるので。いまでも上田さんの番組が一番安心して出演することができますね。