民放出身フリーアナ1号、押阪忍さん死去 89歳老衰 次男智彦さん「大往生で幸せな最期」

AI要約

民放出身のフリーアナウンサー第1号である押阪忍(おしざか・しのぶ)さんが89歳で死去した。

押阪さんは日本教育テレビのアナウンス部に入社し、後にフリーアナウンサーに転身。多くの人気番組で活躍した。

押阪さんは80歳を超えてもアナウンサー業を続け、健康上の問題を乗り越えながら活動を続けた。

民放出身フリーアナ1号、押阪忍さん死去 89歳老衰 次男智彦さん「大往生で幸せな最期」

 民放出身のフリーアナウンサー第1号として知られる押阪忍(おしざか・しのぶ)さんが6月29日、死去した。89歳だった。

 自身が創業した芸能事務所エス・オー・プロモーションの公式サイトで8日、伝えられた。1年ほど前から療養していたが、死因については主治医から「老衰」と告げられた。次男智彦さん(56)は「痛みや苦しむこともなく大往生で、幸せな最期だったと思います」。

 1958年に日本教育テレビ(NET、現テレビ朝日)アナウンス部へ1期生として入社し、63年にタレントでアナウンサーの栗原アヤ子と結婚した。64年の東京五輪では、「東洋の魔女」と呼ばれ金メダルを獲得した全日本女子バレーのベンチリポートなどを担当した。65年にフリーアナウンサーに転身。69年からは約10年半、人気クイズ番組「ベルトクイズQ&Q」(TBS)の司会を務めた。

 ◆押阪忍(おしざか・しのぶ) 1935年(昭10)2月28日、岡山・津山市生まれ。58年、日本教育テレビ(現テレビ朝日)アナウンス部へ1期生として入社。65年に民放出身フリーアナウンサー第1号となる。09年には大腸がんを切除。17年には腹部大動脈瘤(りゅう)の手術を受けた。それでも80歳を超えてなおラジオ番組を持つなど、生涯アナウンサーを貫いた。