藤あや子、“推しメン”野口五郎と対談実現「すみません!!いつも家では“五郎さま”と呼んでいるもので…」

AI要約

1970年代に活躍した歌手の藤あや子と野口五郎が対談するコンテンツ。藤は子宮体がんの手術を経て元気な様子で登場し、緊張と感謝の気持ちを表す。二人が若かった頃の思い出や歌手としての道のりを振り返り、ファンとしてどれだけ支持してきたかを語り合う。

藤は小学5年生の頃から野口五郎のファンであり、彼の新曲が発売されるのを楽しみにしていた。野口も応援してもらっていたことを知り、感謝の気持ちを述べる。二人の対面は緊張と喜びが入り交じったものとなる。

1970年代のアイドルブームの中で野口は人気を集め、忙しいスケジュールの中でほとんど睡眠時間もなく活動していた。藤は学校でも五郎五郎の名を広め、寝る前にはポスターを見つめて眠っていた。二人の間には特別なファンとアイドルの繋がりが生まれていた。

藤あや子、“推しメン”野口五郎と対談実現「すみません!!いつも家では“五郎さま”と呼んでいるもので…」

「推し」とは、人にすすめたいと思うほど好感を持っている相手を指し、「推薦する」が語源。いまや何らかの推し活を楽しんでいる人は約65%にものぼり[野村総合研究所(NRI)未来創発センターによる約3600人を対象に行った調査による]、空前の推し活ブームが到来したとされるが、このブームは、通常なら推される側である著名人にも波及している。あの有名人が“推し”に会ったら……そんな夢を叶える今回の企画は、「小学生の頃から五郎さまファン」と公言している歌手・藤あや子(63才)が、彼女の“推しメン”野口五郎(68才)と対談。1970年代アイドルの舞台裏から、共に芸能界で活躍するようになって辿り着いた歌手としての境地など、深イイ話120分をノーカットでお届けします。【全3回の第1回】

「今日はお世話になります!」。待ち合わせ時間よりも30分早く、対談場所に姿を見せた藤あや子。この5月に子宮体がんの手術をしてから1か月余りしかたっていない。われわれ取材班は彼女の体調が気になったが、顔色もよく元気な様子。ハリのある声と笑顔で、スタッフ一人ひとりにあいさつをしてくれる。艶やかで女性らしいイメージがある藤だが、実際に会うと、竹を割ったような性格で姉御肌だとわかる。

 そんな藤が部屋に入り、隣の控室ですでに野口五郎が待機していると聞くと、途端にソワソワしだす。

「はぁ~、緊張する」と言いながら、室内を行ったり来たり……。そして対談時間ピッタリに野口が笑顔で登場すると、藤の緊張がマックスに──。

(キャー、五郎さまぁ~)とは、叫ばなかったものの、一段高い声で、「今日は本当にありがとうございます。よろしくお願いします」と、ごあいさつ。笑顔は絶やさないものの、緊張が伝わる。“推し”との対面は、妖艶な大人の女性をあどけない少女の顔に変えた──。

〈机上には、1970年代の野口の軌跡がわかるコンサートのパンフレットや雑誌の数々が。いずれも、かつて藤が食い入るように見ていたものだ。野口のレコードや雑誌はいまや“お宝”で入手困難。古書街で知られる東京・神保町のレコード店店主によると、「野口さんのレコードはいまも大人気で、入荷しても即完売。いつも在庫不足」だという。

 そんなお宝を目にした瞬間、2人はタイムスリップした──〉

藤:懐かしい! この雑誌、持っていました。五郎さんはこのときの撮影を覚えていますか?

野口:よく覚えているよ。アメリカで撮影してね。ぼくの隣に写っているのは、有名なジャズギタリスト、ラリー・カールトン。当時はスタジオ付きのギタリストでさ、ぼくはこのとき、19才で……。

〈と、座る前から話が尽きない。ともあれ、まずは着席いただいた〉

野口:あや子さんに応援してもらっていることは知っていまして、いつも感謝していました。『NHKのど自慢』をはじめ、歌番組などでご一緒したことはありますけど、今回のように落ちついてお話しするのは初めてですね。特別なこの日にふさわしく、誰にも話さなかった話をしようかな(笑い)。

藤:きゃあ~、小学生の私に教えてあげたい。「将来、こういう日が来るからがんばりなさい」って。五郎さんは私にとって特別な存在。小学5年生の頃からずっと推しているんです。

〈同じ歌手というより、もはやいちファンの藤。緊張のせいか、ソファの端にかしこまって座り、隣の野口との間には微妙なスペースが……。

 野口は藤より5才(6学年)年上で、15才(1971年)のときに演歌歌手として『博多みれん』でデビューした。その3か月後に発売した『青いリンゴ』からアイドルへと方向転換し、これがヒット。以降、筒美京平さんや馬飼野俊一さん、佐藤寛さんら、人気作曲家とタッグを組み、怒濤のヒットを飛ばしていく。同時に、1972年にデビューした故・西城秀樹さん(享年63)、郷ひろみ(68才)らとともに“新御三家”と名付けられ、トップアイドルの道を歩み始める。藤が野口に魅了されたのは“新御三家”誕生の頃だ〉

藤:当時は、歌番組が多かったですし、毎日どの番組を見ても五郎さま、いえ、五郎さんが出演されていて──すみません!! いつも家では“五郎さま”と呼んでいるもので、つい……小学校では、「あなたは誰派?」という話で盛り上がっていました。私はもちろん五郎さま派。テレビで見てビビッときましたね。子供心に五郎さまだけ、ほかのどのアイドルとも違うと感じました。声も雰囲気も段違いで、憂いがある。10代にしてあの哀愁……ありえません。

〈プロ野球ファンの父親とのチャンネル争いに勝つと、藤は正座してテレビを独占。歌番組にかじりついたという〉

藤:当時は新曲が3か月に1回出るんです。レコード店で毎回予約するから常連になって、店長から「1日早く届いたから取りにおいで」なんて融通をきかせてもらいました。だから発売日の前日には歌詞を覚えて、翌日の発売日には、学校で誰よりも早く歌を披露していました。部屋中にポスターを貼って……。天井にもポスターを貼っていました。眠る前は必ず五郎さまと目が合うように(笑い)。

野口:うれしいなあ。そうそう、当時は新曲が出るのが早かったんだよね。

藤:あれほどのスケジュールで休めていたんですか?

野口:デビューから何年も休めなかったですね。一度、悪天候で飛行機の飛ばない日があって、そのときはステージが休演に。それで1日だけお休みをいただいたことがありました。

藤:じゃあ、睡眠時間も……。

野口:当時は週に50本以上歌番組があったから、ほとんど寝ていなくて……。スタジオの暗幕を体に巻き付けて、出番がくるまでミノムシみたいに立ったまま眠ったこともあったくらい。わずかな時間でも熟睡できるようになったんだけど、出演直前に起こされるから、実は寝起きで、目が腫れたままテレビに出たこともあったっけ(笑い)。

藤:は~、すごいです!