44歳の専業主婦、パク・ヨンハの急逝で韓国語を勉強→51歳で字幕監修者に「自分で稼いだお金で墓参りできたことは、私にとって大きな意味がありました」

AI要約

花岡理恵さんは、44歳から韓国語を学び始め、51歳で字幕監修者になるまでの人生を振り返る。彼女はパク・ヨンハの急逝をきっかけに韓国への興味を深め、勉強を続けて成長を遂げていった。

勉強を始めて3年後には弁論大会で優秀な成績を収め、さらに字幕翻訳の仕事に挑戦。熱意と努力で実力を伸ばし、韓流コンテンツ配給会社での仕事に就くことに成功する。

花岡さんの物語は、やりたいことに向かって努力し続ける姿勢や決断力が重要であり、年齢や環境を乗り越えて夢を実現する可能性を示唆している。

44歳の専業主婦、パク・ヨンハの急逝で韓国語を勉強→51歳で字幕監修者に「自分で稼いだお金で墓参りできたことは、私にとって大きな意味がありました」

【前編】“推し”の急逝を機に、44歳から韓国語勉強→51歳で字幕監修者になった女性「やりたいと思ったら、どんどんやっていい」より続く

『冬のソナタ』で主人公の恋敵を演じ、一躍有名になった韓流スター、パク・ヨンハ。歌手としても『最愛のひと』などがヒットし、武道館公演も成し遂げた。だが彼は’10年、32歳の若さで命を絶った。

6月30日で十五回忌を迎えた彼を、花岡理恵さん(58)はいまも毎日思い続けている。ヨンハを好きになり、韓国語を学び、専業主婦から51歳で字幕監修者に。“推しに出会って運命が変わった”彼女の人生に迫る。

その後の成長は目覚ましかった。

勉強を始めてから3年後、教室の先生の勧めで弁論大会に出場。「韓国と恋に落ちた私」という題名で4分間のスピーチを行い、14人中、3位の成績を収めた。

「ふだんの生活にどのように韓国を取り入れているかといった内容で、〈犬にも韓国語で話しかける〉といった話をしながら、日韓が理解し合えたら、と締めくくりました。最後の発表者だったので、ものすごくドキドキしていたのですが、本番は、まるで天使が降りてきたみたいに夢心地で、楽しかったんです」

転機は、なにげなく受講した映像字幕の会社の公開講座。初めて字幕翻訳を付ける経験をした。

「1秒につき4文字などの字幕のルールがあり、自分で秒数をカウントしながら、字幕翻訳を付けていく。これがすごく面白くて、韓国語を仕事に生かすことを考えるきっかけになりました」

もっと実力を伸ばしたい。そう考えた花岡さんは、地元・埼玉の教室をやめ、東京の在日本韓国YMCAに転校。講師に押し切られる形で最上級クラスに入ることに。

「授業は全て韓国語で、講義の内容も政治経済や歴史など、濃いものでした。関心のないことになると、てんで言葉が理解できず、授業についていくために泣きながら予習をしていました」

でも、不思議と勉強が嫌になることはなかった。

「この背伸びでだいぶ鍛えられ、力がついた実感もありました」

1年後、字幕制作会社が開催する映像翻訳講座を受講し、修了試験では1位を獲得。

「私以外の参加者は全員、すでに字幕翻訳の仕事をしていたので、まさか自分が1位になるとは」

自信をつけた花岡さんは、韓流コンテンツ配給会社の大手、コンテンツセブンの求人に応募。高倍率のなかで採用が決まった。

当時51歳。会社勤めの経験のない自分が、なぜ高倍率のなかから選ばれたのか。