「“布は外さない”のが私のモットー」ギネス級グラドル・山中知恵の矜持

AI要約

10歳でジュニアアイドルとしてデビューし、100作品ものイメージDVDをリリースした山中知恵。彼女の芸能界入りのきっかけや、活動休止から復帰するまでの心境、DVD100作品を達成するまでの軌跡に迫る。

山中は舘ひろしさんに憧れて芸能界入りし、家族旅行中にスカウトされるきっかけで事務所に入った。大人が自分のために動いてくれる環境が楽しく、芸能活動を続ける原動力となった。

活動休止後、山中はエゴサを通じて再び興味を持ち、グラビア活動を再開。100作品を達成した理由はファンとの触れ合いや与えられた台本を通じて表現。自身のアイデアよりも作品の意図を汲み取ることに長けていた。

「“布は外さない”のが私のモットー」ギネス級グラドル・山中知恵の矜持

10歳でジュニアアイドルとしてデビュー。その後、100作品ものイメージDVDを世に出したギネス級の記録をもつ山中知恵。現在も、阪神タイガースやポーカーなど、好きなことをとことん突き詰めていく様子がSNSで発信されている。101作品目のイメージDVDを出すことが決定している彼女の魅力を、ニュースクランチのインタビューで紐解いた。

◇舘ひろしさんに会うために芸能界へ入りました

まずは、小学生の頃にデビューを果たした山中に、芸能界へ入るきっかけを聞いてみた。

「保育園ぐらいの頃は歌手になりたかったんです。母がスナックをやっていて、私がお店で歌うとお客さんたちが喜んでくれるのがうれしかったんですよね。でも、小学生になってから、自分があんまり歌がうまくないことに気づいたんです(笑)。

歌がうまくなくても、芸能界に入りたいとは思い続けていました。当時は舘ひろしさんに憧れていて、会うためには自分が芸能人になるしかないと思っていたんです。ある日、家族旅行で上野に来ていたときに、姉と一緒にスカウトされたのがきっかけで事務所へ入りました。母親は芸能には興味がまったくない様子でしたが、私たちの夢を応援してくれて、家族全員で上京しました」

ミーハー心と巡り合わせで掴んだ芸能界への切符。とはいえ、実際にやってみると大変なことが多かったのではないだろうか。

「大人のなかにいることが好きだったのか、楽しいと思うことばかりだったんです。大人が自分のために動いてくれて、作品を出したらファンの人が喜んでくれて。そんな毎日に自分の存在意義を見出せていたおかげで、中学生以降はもちろん、大人になってからも変わらず芸能活動を続けられました」

◇DVD100作品は息をするように出していた

充実した日々を送ってはいたものの、2015~2019年には芸能活動を休止していた。当時は、どのような心境だったのかを率直に聞いてみた。

「グラビアが大好きだったとはいえ、子どもの頃からずっと芸能活動をしていたので、普通の生活を一度してみたいなという気持ちがあったので、活動休止を選択しました。ただ、活動休止したあとも、めちゃくちゃエゴサはしていたんですよ(笑)。すると、“この作品のここが好き!”みたいな愛のあるブログを発見して。それを見ていたら、やっぱりまだ辞められないなと思い復帰しました」

復帰後、山中はグラビアアイドルとしては前人未到のDVD100作品をリリース。ギネス級の記録が生まれたのには、どのような軌跡があったのだろうか。

「気づいたら100枚出ていたという感じなんですよね。息をするたびにDVDを出していたイメージ(笑)。2週間、海外へ行って4本撮りするときもありました。ただ、100本続けられた最大の理由は、イベントなどでファンの方と直接触れ合える機会が多かったからだと思います。

性的な目で見られることも全然問題なくて。むしろ、DVDイベントでは“全部使い切ってくださいね!”と言いながらティッシュを配っていたこともありました(笑)。

ただ、これも能動的にエゴサできる私だからなのであって、ファンの方にも、こういうメディアでも、距離感や言われた本人がどう思うかを、よく考えて欲しいと伝えてます。今は本人にもすぐ伝わってしまう時代なので」

100作品ともなると、自分でアイデアを出すときもあるのかと聞くと、意外な答えが返ってきた。

「自分でアイデアを出したことは一度もなくて、すべて与えられた台本をもとにして表現してました。ただ、私はアダルト作品やグラビアを普段からよく見ているおかげか、作品の意図を汲み取るのが得意だったんです。そのDVDで重視すべき部分を100%汲んだ演技をするので、逆に事務所から“今のはやりすぎ!”と言われ、バッサリ切られることはよくありました(笑)」