久我美子さん、93歳で死去 主演映画「また逢う日まで」で伝説窓ガラス越しキスシーンは映画史に残る

AI要約

女優の久我美子さんが誤嚥性肺炎のため93歳で亡くなったことが明らかになった。映画「また逢う日まで」などで知られ、女優人生を振り返りながら、自身のキャリアについて熱く語っていた。

久我美子さんは映画「四つの恋の物語」でデビューし、黒澤明監督や小津安二郎監督などの作品に出演。主演映画「また逢う日まで」では名ラブシーンで知られ、映画界に大きな影響を与えた。

また、久我美子さんは「五社協定」に反発して「文芸プロダクションにんじんくらぶ」を設立し、映画製作やテレビドラマで活躍。私生活では俳優の平田昭彦さんと結婚し、おしどり夫婦として知られていた。

久我美子さん、93歳で死去 主演映画「また逢う日まで」で伝説窓ガラス越しキスシーンは映画史に残る

 映画「また逢う日まで」(今井正監督)などに出演した女優の久我美子(くが・よしこ、本名・小野田美子=おのだ・はるこ)さんが9日に誤えん性肺炎のため死去していたことが14日、明らかになった。93歳だった。所属事務所によると、葬儀は既に執り行われた。

 今世紀に入ってからは第一線を退き、事実上の引退状態に。2004年3月に義理の姉で女優の三ツ矢歌子さんの通夜に参列したが、公の場にはほとんど姿を見せていなかった。

 また、10年には東京・池袋の新文芸坐で行われた特集上映に合わせて出版された「『にんじんくらぶ』三大女優の軌跡」(エコール・セザム刊)に寄稿。「『この演技を見て』とかいう自意識がなかったのが、逆によかったのかなと。後で作品も含めて高い評価を得るようになるとは、夢にも思っていませんでした」などと女優人生を総括していた。

 久我さんは、元侯爵で貴族院議員の父を持つ華族出身。女子学習院中等科在学中の1946年に東宝ニューフェイスに応募し合格。家柄もあり、周囲からは女優の道を反対されたが、翌年、映画「四つの恋の物語」の学生役でデビューした。その後、「酔いどれ天使」の黒澤明監督をはじめ小津安二郎監督、木下惠介監督ら名匠の作品に多数出演した。

 一躍、注目を集めたのが50年公開の主演映画「また逢う日まで」。岡田英次さん演じる召集前の学生に恋をする画家の卵を好演。岡田さんとの窓ガラス越しのキスシーンは、映画史に残る名ラブシーンと評され、04年公開の映画「世界の中心で、愛をさけぶ」で長澤まさみと森山未來が無菌室のカーテン越しにキスをする場面に影響を与えた。

 54年には、専属する映画会社以外の作品に出演できない、通称「五社協定」に反発した女優・岸惠子(91)、有馬稲子(92)と「文芸プロダクションにんじんくらぶ」を設立。映画製作も行った。テレビでも「華麗なる一族」(74年)など多くのドラマで活躍し、ワイドショー「3時のあなた」の司会も務めた。

 私生活では61年に俳優・平田昭彦さん(84年死去)と結婚。おしどり夫婦として知られ、89年映画「ゴジラVSビオランテ」では、亡き夫の遺志を継いで女性官房長官役で出演した。

 ◆久我 美子(くが・よしこ、本名=小野田美子)。1931年1月21日生まれ、東京出身。第1期東宝ニューフェイスに三船敏郎さんらと共に合格し、47年に女優デビュー。54年、木下惠介監督の映画「女の園」などで毎日映画コンクール助演女優賞を受賞。56年、木下惠介監督の映画「夕やけ雲」などでブルーリボン賞助演女優賞を受賞。