転落寸前だったバスに乗務、東日本・熊本・能登へボランティアに向かう男性…「生きながらえた自分の使命」

AI要約

阪神高速道路倒壊の事故を生き延びたバスの運転手が能登地震被災地でボランティア活動を行っている。

過去の経験から生かされた命を役立てることを決意し、同僚たちと共に活動している。

被災地でのボランティア活動を通じて、地域の人々とのつながりを深めている。

 阪神大震災で倒壊した阪神高速道路の橋桁から奇跡的に転落を免れたバスに乗車していた運転手の男性が、会社の同僚と一緒に能登半島地震などの被災地でボランティアをしている。「生かされた命を役立てたい」。男性の思いは、若い後輩たちも巻き込んだ活動につながっている。(京都総局 下林瑛典)

 1月の能登半島地震で震度7を観測し、2人が亡くなった石川県志賀町。4月7日、帝産観光バス京都支店(京都府長岡京市)の安井義政さん(62)が同僚ら約10人と、傾いた蔵の片付けにあたっていた。

 約7時間、黙々と畳やふすまを運び出し、「実際に作業すると、被害の大きさを実感する」と話した。住人の男性(88)は「1人じゃどうしようもなかった。遠くから来てくれてありがたい」と喜んだ。

 1995年1月17日、安井さんは長野県のスキー場から神戸へ向かう夜行バスの交代要員として、運転する先輩の隣で乗務していた。阪神高速神戸線を走行し、兵庫県西宮市にさしかかった時、突然大きな揺れに襲われ、道路が波打っているのが見えた。「ブレーキがきかへん」。先輩の叫び声が聞こえた。

 長い揺れの後、安井さんは先輩や乗客3人と後方の扉から脱出し、非常階段で地上に下りた。対向車線から落下したとみられる車が火柱を上げていた。

 見上げると、バスは前輪が宙に浮いた状態で止まっていた。使い捨てカメラで撮影し、「あと1メートル進んでいたら……」と震えた。落下を免れたバスは、震災を象徴する場面として海外のメディアでも報じられた。

 震災後もドライバーを続けている安井さん。ボランティアを始めたのは、2011年の東日本大震災がきっかけだった。

 同僚らに「阪神大震災の時に全国から助けてもらった。今度は自分たちが助けないと」と声をかけ、社長に直談判。発生から約半年後、約50人と一緒に岩手県陸前高田市に入った。16年7月には熊本地震で被災した熊本県西原村を訪れた。