【特別公開「論点」国立西洋美術館抗議活動をめぐって】組織化された自律性 Autonomia Organizzata

AI要約

3月11日、国立西洋美術館で、パレスティナ侵攻への抗議が行われた。

特集展示が終了した後も議論が続いており、出展作家による批評が特別公開された。

抗議活動に参加したアーティストたちが、美術館のオフィシャル・パートナーシップを問題視し、抗議の意志を示した。

 3月11日、国立西洋美術館で、参加アーティストらによる、イスラエルのパレスティナ侵攻への抗議が行われた。

 特集展示「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか? ――国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ」は会期を終えたが、議論はいまだ尽くされていない。

 出展作家の一人でもある松浦寿夫さんによる批評「組織化された自律性 Autonomia Organizzata」(群像2024年6月号掲載)を特別公開する。

 二人の女性が互いに手を取り、緊張した趣きを示しながらも、正面に視線を向けたまま沈黙を保ち歩き続ける。そして、決して広くはない国立西洋美術館地下ロビーを何度となく往復する。その場に偶然居合わせた人々からの遠巻きの視線に反応することもなく、彼女たちの視線は、どこか別の場所に向けられているかのようだ。二人の身につけた白い衣服には無数の赤い絵具が飛び散っている。この際限なく反復される歩行による往復運動のさなかで、二人はCEASEFIRE NOWと表記された横長の布を取り出し、拡げながら、歩き続ける。この布が取り出された直後に同美術館の職員らしき二人の人物の介入によって、この一連の行為の中止が要請される。この布を取り出す瞬間まで一連の行為は黙認されていたのだから、中止要請は明らかにCEASEFIRE NOWというメッセージを掲げたことへの直接的な反応と考えられる。とはいえ、この介入の根拠となる同美術館のコンセンサスはどこにも明記されていない。そしてこの判断の権限は職員の個人的な管轄に委ねられているのだろうか。西洋美術館からは今なおその明確な返答を受けてはいない。

 ともあれ、この介入以後も、二人は再び互いの手を取り、会場を歩き続ける。伝えるべきメッセージの伝達を禁じられたばかりか、メッセージそのものをも奪われた存在が、ただただ歩き続けるという行為の継続的な遂行によって、言葉を奪われた存在の重力と威厳とを静かに、とはいえ不屈の意志とともに顕示し続ける。それは、血を想起させる赤い絵具の滲みを媒介とした表象作用以上に、言語を絶する過酷な状況のもとにあることを強制されているパレスティナの人々の体現する威厳を直接的に喚起するものであったといえよう。個人的な意見を付け加えるとすれば、今回の「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」と題された展覧会で、筆者にとってはもっとも衝撃的な瞬間であった。それはまた、余談になるが、今回の展覧会の出品者の一人である筆者に、例えば絵画作品がこのような強度に匹敵できるようなものでなければならないという重い課題を自覚させるものでもあった。

 参加作家の遠藤麻衣氏と友人の美術家、百瀬文氏によるこの一連の行為は「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」と題された国立西洋美術館で開催された展覧会の一般内覧会の会場入り口ロビーで行われたものだが、この同じ会場では、それに先立ち、プレス内覧会が開催された。このプレス内覧会では、本展企画担当者である新藤淳氏による企画趣旨の説明が行われた直後に、参加作家の一人である飯山由貴氏が立ち上がり、イスラエルが現在パレスティナで遂行するジェノサイドへの抗議と、国立西洋美術館とのオフィシャル・パートナーシップを締結する川崎重工によるイスラエル製の攻撃用ドローンの輸入の取りやめの要求、また、同美術館からの川崎重工への働きかけの要求を主旨とした声明文を朗読した。改めて指摘するまでもなく、パレスティナの人々に対して遂行されつつある暴挙としか呼びようのない残虐な戦闘を一種の最新兵器の商品見本市として活用するイスラエルの軍産複合体からの武器購入はこの戦争犯罪への具体的な加担に他ならない。この間、筆者は参加作家席でFREE PALESTINEと書いた布を掲げ、飯山氏の声明文に賛同する友人、市民の方々が「川崎重工虐殺に加担するな」という巨大な垂れ幕を拡げ、また、声明文のチラシの配布を行った。この一連の抗議活動は一人の参加作家による大声での恫喝とともにプレス内覧会参加者の展示会場への移動が促進され、曖昧な形で聴衆が減少する中でも続行され、さらに飯山氏たち何人かは床に直接横たわることによって、抗議の意思を提示し続けた。ここでもまた横たわる身体は自重を支えきれない姿勢にもかかわらず、その沈黙とともにある身体の威厳を顕示していた。

 今回の一連の抗議活動に関しては新聞等のジャーナリズムでの言及をはじめとして、多くの意見を耳にすることになった。批判的な論調は主として、なぜ西洋美術館で抗議活動を行うのか、なぜ出品を辞退せずに、展示に参加しつつ抗議活動を行うのか、なぜ抗議の意思を作品それ自体によって表明しないのかという三点に集約されるだろう。この三点に関しては当日配布した声明文がすでに明瞭に示しているのでここで繰り返す必要はないと思うが、ごく簡単に応答しておきたい。今回の展覧会に出品された飯山氏の作品が明らかにしているように、西洋美術館の基盤となる松方コレクションを形成した松方幸次郎は川崎重工の前身である川崎造船所の初代社長であり、しかもコレクションの形成に当てられた資金は海軍との密接な関係を維持しつつ拡張した造船業の収入によるものであった。そして、この西洋美術館の形成の歴史および同美術館が昨年川崎重工とのオフィシャル・パートナーシップを締結した事実を考えれば、川崎重工によるイスラエルの軍産複合体からの武器購入計画に対してその放棄を呼びかけるように同美術館に訴えるという活動の根拠は正当性を持ちえるだろう。実際、伊藤忠はイスラエルの大手軍事産業エルビット・システムズとの協力関係を本年二月末をもって解消すると公表している。

 また、出品辞退という選択は理にかなっているように見えるが、美術館の内部で抗議活動を展開するためには展示に参加する以外の方法は存在しえないし、美術館に不協和音を響かせること自体、本展カタログに寄せられた文章での田中正之館長からのわれわれ参加作家に対しての要請であったはずだ。また、同カタログで、本展の企画者である新藤淳氏は「予期せぬものの到来なしに、美術館で未来を考えることはできない」という一文で序論を閉じていたのだから、この抗議活動は最良とは言わないまでも、西洋美術館の要請に対しての明確な応答たりえていたはずだ。そして、われわれの投げかけた問いに対しての同美術館からの明瞭な返答はまだなされていない。

 最後に、なぜ作品で抗議を表明しないのかという問いに対しては、ごく端的に、作品は意見の表明ではなく、その固有の自己組織化によって自律的に形成されるものであると指摘するにとどめておきたい。また、ここで自律的という語を用いたが、自律的とは外部との接続の回路を欠いている状態のことではない。むしろ、自律的であるからこそ、他の領域の種々の活動と交差し、交錯する連繫の線分を出現させることができるのではないだろうか。例えば、筆者は画布に絵具という最低限の媒体を用いていわゆる抽象的な絵画作品を制作している。そこにいかなる政治的意見も見出すことはできないだろう(簡潔かつ抽象的な構造を備えた自作に関して、この作品を正しく見ることができれば全体主義に対する反対の表明を理解できるはずだと豪語したバーネット・ニューマンの事例があるとしても)。この文章の題名に掲げたアウトノミア・オルガニザータとはトニ・ネグリたちが一九七〇年代に形成した運動体の名称であるが、ここで、空虚を通路として自律的な感覚=筆触の可変的な組織化の論理によって存在の潜性的な次元を開示し続けたセザンヌの制作を同じ思考の体制のもとで想起することも可能だろう。

 何れにせよ、このような作品を制作している画家は政治的な意見を述べることはできないのだろうか。あるいは、渡辺一夫の「文法学者も戦争を呪詛し得ることについて」(一九四八年)に触れておくべきだろうか。この文章で論じられる文法学者はデンマークのフランス語学者、クリストフ・ニーロップである。ニーロップは六巻本の大著、『フランス語歴史文法』をはじめとして、厳密なフランス語学研究を遂行すると同時に、第一次世界大戦のごく初期から一貫して反戦を訴える文章を発表し続け、これらの文章をまとめた著書、『戦争と文明』(一九一七年)の序文の末尾には「抗議しない人間は共謀者である」と大文字で書き込まれている。だが、この渡辺一夫の文章の題名は、「文法学者も」ではなく、「文法学者であるからこそ」と正確に書き換えるべきだろう。「一市民も抗議できる」ではなく、「一市民であるからこそ抗議できる」というようにこの命題は変形されなければならない。そして、この変形は助詞という文法的な小さな単位に立脚している。この助詞の変位への繊細な反応の一つとして、例えば、自由「に」歌えるから、自由「を」歌えるへと、助詞の小さな変位によって自由の領域の縮減を明瞭に提示した忌野清志郎を想起することは奇妙なことだろうか。何れにせよ、ニーロップは文法学者としての自律的な研究活動を遂行したがゆえに、彼は文法研究の外部との接続を実現しえたのではなかっただろうか。そして、この上記の三点の批判は、ごく端的に、いずれも、パレスティナに対してのジェノサイドへの加担を放棄するようにという要請それ自体の隠蔽として作用するものでしかないだろう。

 ところで、本展に付随した企画として、その後、公開座談会が「現代美術のない美術館で芸術の未来を考える」と題して開催された(登壇者は梅津庸一、小田原のどか、新藤淳、布施琳太郎の四氏と筆者)。冒頭で司会の新藤氏がマーク・フィッシャーの著作に依拠して、「未来の消去」、「新しいものの収縮」という現状認識を紹介した後に、芸術の未来を問うことを「オルタナティヴ」はいかに可能かという問いに書き換えた上で、この「オルタナティヴ」を担う存在としてのコレクティヴの可能性を問うという議論の方向が提示されることになった。この設定自体を偽の問いとまでは言わないにしても、この設定に少なからぬ疑問を抱かざるをえなかったことも事実であり、筆者のこの後のわずかな発言もこの疑問の提示に他ならなかった。たしかに、フィッシャーがその著書の題名ともなった「資本主義リアリズム」と呼ぶ思考の体制は「資本主義以外のオルタナティヴは存在しない」というマーガレット・サッチャーの新自由主義的な発言が体現する時代の思考の体制であるにしても、資本主義それ自体が不断に、また継続的に無数のオルタナティヴな領域を創設し、それを糧に延命を図ってきた事実を隠蔽することはできない。そして、仮に資本主義が自らを支える外部としての対抗的なオルタナティヴをもはや産出できないのであるとすれば、それは資本主義それ自体に根底的な変異をもたらさざるをえない以上、それがどのようなものであるかは不明であるとしても、今後とも資本主義の体制は回収可能なオルタナティヴを産出し続けるだろう。そして、サッチャーの命題の逆説は、「オルタナティヴは存在しない」と言明する条件として、オルタナティヴを必要としているという点に他ならない。また、フィッシャーの思考につきまとうある種の陰鬱さの徴は、どのようなオルタナティヴの創設も、結局は資本主義の延命への貢献でしかありえないのではないかという現状認識を暗示している。

 それゆえ、フィッシャーへの依拠から開始された今回の問題提起がある種の長閑さの様相を呈さざるをえなかったのも、オルタナティヴという概念それ自体が内包する対抗性の作用の考察が稀薄なものに止まったからではないだろうか。改めて指摘するまでもなく、オルタナティヴという語は、語源的にも、ある何らかのXに対するオルタナティヴであって、その存立においてXを必要とする点で自律的な領域を構成しえない。しかもきわめて多くの場合、オルタナティヴは対抗すべき対象として設定したXに依拠し、逆説的にXの価値の確立に貢献し、さらにはXの構造それ自体を模倣することになりかねない。そして、この概念がコレクティヴというもう一つの概念と連結されるとき、このオルタナティヴなコレクティヴが、Xが内包する中央集権的な権力構造を無自覚に、しかも場合によっては最悪の形式において模倣し、反復する事態を産出することも起こりえるし、実際、コレクティヴと呼ばれる活動においてハラスメントの問題が露出した事例があることも周知のとおりだ。だとすれば、オルタナティヴという形式とは別の形式、いわばオルタナティヴに対するオルタナティヴこそが思考されるべきではないだろうか。座談会の席上、この文脈で、例えば小田原のどか氏は自らの活動の場の一つとしてアーティスツ・ユニオンの事例を提示されたが、筆者はむしろ、オートノミーという概念─それは、トニ・ネグリたちのアウトノミアと同じ語である─、つまり自律性に依拠した連繫の可能性を提案するとともに、内覧会の場での抗議活動をその一事例として取り上げた。とはいえ、筆者の非力ゆえに、今回の座談会ではこの抗議活動自体を論じることを回避するかのような暗黙の合意形成に逆らって議論をそれ以上展開することはできなかった。

 何れにせよ、三月一一日の抗議活動は何らかの組織が集団的かつ統一的なプログラムに基づいて活動を展開したというよりも、むしろ、自律的な制作活動を展開する何人もの美術家たち、しかもその作品制作の媒体も、形式もまったく異質な美術家たちとその友人たちとが、臨機応変に可変的かつ可塑的な連繫のもとに同じ課題を共有したということ以外の何ものでもない。また、われわれが用いた媒体も声、身体、布、紙、絵具というごく限定的な貧しい素材に過ぎなかった。しかも、周到な準備を行う時間もなく、ごく限られた時間で、ほとんど瞬間的に多様な実践を個別的に創案し、連繫を実現させたに過ぎない。そして、この連繫は表現の自由の行使として形成されたものではない。むしろ、現在進行形で展開するパレスティナでのジェノサイドに抗議することの緊急の義務、しかもわれわれの個人的な意図を越え出る形でわれわれがこの惨劇への加担を強いられているがゆえになおさら深刻なものである義務、その自覚とその遂行とが瞬間的に自律的な美術家たち、市民たちの連繫を作り出したということだ。もちろん、この種の行為の遂行への不参加の理由はいくらでも案出することができる。実際、活動後に、多くの不参加の理由を耳にすることになった。当然のことながら、この呼びかけへの不参加の意図は尊重されるべきであり、参加は強制されるべきではない。とはいえ、事後的に、主旨には賛同するが方法に同意できない、声明文の全てに同意できるわけではないといったご意見をいただいたが、繰り返しになるが、今回の抗議行動への参加者たちは統一的なプログラムを事前に備えていたわけではないし、プログラムを議論する時間すらなく、参加者個々の個別的な創案をお互いに把握していたわけでもなく、その思考において統一化されていたわけでもない点は強調しておきたい。つまり、参加者自身もまた、相互に共有しえない側面を持ちながら、自らの自律性ないし特異性を維持しつつ、なおかつ、緊急事態を前にした共通の義務の遂行という点でのみ描き出される接続の線分によって、今回の活動を可塑的な自己組織化として出現させたということだ。そして、われわれは今後も例えば、展覧会場で、署名空間で、あるいは路上で常に新しく、差異化された連繫を創設していくだろう。また、この連繫のさなかで自らを不断に差異化し変貌し続ける自律性は、連繫によってさらに一層自らの自律性を強化するという逆説を提示し続けるだろう。

 付記

 三月一一日の抗議活動の際に配布された資料及び、今回の活動の補足的な情報に関してはAPVA-JST(@apvajst)/Xのサイトを参照していただきたい。

 いくつかの新聞報道がなされたが、三月一一日付の毎日新聞による報道に関して若干指摘しておきたい。かなり早い時期のこの報道は短い文面の中で当日の出来事を簡潔に紹介している。ところが、この記事では川崎重工という企業名は意図的に隠蔽され、それに対して、抗議活動を実践した飯山由貴、遠藤麻衣、百瀬文の三氏の名前は明示されている。無防備な個人の名前は明示する一方で、企業名は隠蔽するというこの非対称的で不均衡な記述は、それ自体として犯罪的な報道姿勢としか言いようがなく、このような報道姿勢こそが、個人の政治的な次元での発話をより困難なものにするという点で、批判の回路をあらかじめ封鎖することに貢献する抑圧の原理として作動している点は強調しておきたい。また、長年の同紙読者として、筆者が深く失望したことも付け加えておきたい。

 その後、三月二〇日に、飯山、遠藤両氏と筆者は西洋美術館からの要請で同美術館に赴き、田中館長、新藤主任研究員との会談の場を持ち、美術館側からの当日の対応に関する説明を受けた。とはいえ、この時点で、内覧会当日のわれわれからの問いかけに美術館側からの明確な返答が示されたわけではなく、また、当日のパフォーマンスの中止要請、警察の介入、警察に対しての退去要請の有無に関しても、詳細な把握がなされていないようだったので、次回の会談に向けていくつかの要望と質問を提示した。なお、拙稿の執筆段階ではいまだ次回の会談日程は決定していない。

 さらに、今回の企画展と同時に開催されている「真理はよみがえるだろうか:ゴヤ〈戦争の惨禍〉全場面」展に掲げられた解説パネルにおいて、ウクライナ、パレスティナという語が当初、現在進行中の戦争の事例として掲げられながら、何度かの書き直しの後に、現在のパネルからはこれらの具体的な場所の名前は抹消されている(なお、この経緯に関しては、美術家のBARBARA DARLINg氏による詳細なポストにご教示いただいたことを感謝とともに記載しておきたい。とりわけ、三月一六日および三月三〇日のポストを参照。BARBARA DARLINg@BARBARA_DARLINg/X)。そして、この変更、抹消の過程がどのような判断の審級における決定によるものであるかは不明である。この点に関しても、現在準備中の西洋美術館に対しての質問状に付け加えたいと思う。

二〇二四年四月一五日