「借金返せんなら腎臓を売れ」を地で行った“闇金の帝王”がカメラマンに見せた虚栄と虚無

AI要約

杉山治夫氏は、闇金融業で財を築いた男で、畑から盗んだ土まみれの大根を食べるほどの空腹を経験した過去を持つ。

彼の生い立ちは貧しく、小学校にもまともに通えず、農家の納屋で食うや食わずの生活を送っていた。

20歳から独立して商売を始めた後、何度も倒産し、裏社会との繋がりも持つようになり、ヤクザに縛られ埋められるという凄まじい体験も経験する。

 (フォトグラファー:橋本 昇)

■ 空腹すぎて、畑から盗んだ土まみれの大根をそのまま…

 彼の金への執着は尋常ではなかった。闇金融業で財を築いた杉山治夫氏のことだ。

 闇金融、略して「闇金」とは、どこからも金を借りる術がなくなった人たちが最後に駆け込む金貸しのことだが、当然のことながら利息は法外なものとなる。トイチ(10日で1割)という言葉は有名だが、週倍(1週間で倍)、ヒサン(1日で3割)まであるという。つまりは人の弱みに付け込む悪徳金貸しだ。そして、この1990年代の初めまでは世の中の裏でひっそりと営業していた闇金を、その派手なパフォーマンスで一躍万人に知らしめたのが、杉山治夫氏と言っていい。

 彼の生い立ちは貧しさを通り越して悲惨だった。1938年に高知市で生まれたが、船員の父親は博打と酒に溺れ家庭は崩壊していたという。家族は農家の納屋で食うや食わずの生活を送っていた。彼はまともに小学校にも通学できず、空きっ腹を抱えて畑泥棒を繰り返す毎日だったという。

 「腹が空き過ぎて畑から大根を引き抜いて泥が付いたまま食ったんや。口の中がじゃりじゃりしたけど空きっ腹に染み渡ったよ。わかるか?  その時の小僧の姿が。俺の胃袋があれも食えこれも食えと泣くんや」

 杉山氏はそう述懐した。

 「風呂にも入れず、垢まみれで服は黒光りしとった。ルンペン(乞食)のガキやな」

 中学にもろくに通わず地元の時計店に丁稚奉公に入る。

 仕事はきつかったが3度の食事が有難かったという。

 「目が真っ赤になる程一生懸命に働いたよ」

 「世間を恨んでも仕方がない。きっと、絶対に金持ちになったるんやという夢がメラメラと燃えとったんやろな」

 彼の口調は感傷に浸りながらも淡々としていた。

■ ヤクザに縛られ埋められる

 そして20歳の頃から独立して商売を始めたというが、裸一貫の若者が歩む道のりの厳しさは容易に想像できる。倒産を繰り返し、否応なく裏社会との繋がりもできる。

 「一番怖かったのは山菱(山口組のこと)の若いのから縛られて首だけ出して埋められた時やな。これはもうアカンと思うたわ」

 凄まじい体験だが、それをどう切り抜けたのかは聞けなかった。

 「ヤクザは金と暴力だけやからな。何とか収めたわ」とだけ彼は語った。

 そしてその後、彼は高利貸しを生業とする。闇の世界で必死に金にしがみつくのだ。