子ども・子育て支援金の負担 保険料に上乗せは「不適切にもほどがある」
政府が公的医療保険料に上乗せして徴収する子ども・子育て支援金制度について、経済学者の中里透氏が批判を述べました。
中里氏は、この政策が保険料として不適切であると指摘し、社会保険制度のあり方に疑問を投げかけています。
さらに、少子化対策の必要性や効果についても議論が必要であると述べられています。
![子ども・子育て支援金の負担 保険料に上乗せは「不適切にもほどがある」](/img/article/20240521/664bd14f37513.jpg)
政府は、公的医療保険料(健康保険料)に上乗せして徴収する子ども・子育て支援金制度を創設する方針です。この政策は「筋が通らない」と言う、上智大学経済学部准教授の中里透さんに聞きました。【聞き手・須藤孝】
◇ ◇ ◇ ◇
――なにが問題なのでしょうか。
中里氏 子ども・子育て支援金は、実際には子ども・子育て支援「税」なのではないでしょうか。
健康保険料からなぜ児童手当を出すのか、普通の人には理解できません。政治は必ずしも、学者が考えるような理屈通りにいかないことはわかっています。
それでも最低限の筋は通す必要があるのではないでしょうか。「不適切にもほどがある」と思います。
◇児童公園にも使うのか
――社会保険料を払うことには税を納めることとは違う意味があります。
◆目的税というものもありますが、税は基本的には何に使うかが決められているわけではありません。社会保険料は違います。
保険料を払わなければ給付を受けられない原則があります。健康保険料でいえば病気やけが、出産などに対して保険金が出る、その時のために保険料を払う仕組みです。子ども・子育て支援金はその仕組みを逸脱しています。
健康保険料を児童手当に使ってよいなら、児童公園はどうでしょう。子育てのためには児童公園もあったほうがよいですが、そうなると、「何でもあり」になってしまいます。
◇国営のネズミ講?
――子どもが増えれば、将来社会保険料を払う人が増えるから、子育て支援の費用を保険料から出してもいい、という主張もあります。
◆それだと、社会保険制度が国営のネズミ講のようになってしまいます。子ネズミがたくさんいないとお金が回らなくなるから、子ネズミを増やせという発想でよいのでしょうか。
たとえば、年金は本来、自分の払ったものが自分に戻ってくる(積み立て方式)という建前ですが、実際は現役世代が納めたものが受給者に渡る仕組み(賦課方式)になっています。
実態としてそうなっていることは仕方ないのですが、それにしても、若い世代に負担を求めることを前提に、子どもの数を増やせというのは、到底理解が得られないと思います。
――健康保険組合などの保険者が徴収を代行しているだけという説明もあります。
◆加入者が保険料を滞納した場合、健保組合などはその分を補塡(ほてん)して国に納付しなければなりません。これは代行ではありません。たとえば今回の措置に納得がいかないということで不払いが増えれば、その分は保険料を引き上げて埋め合わせることになりかねません。
◇国民に納得感がない
――わかりにくいと不信感が高まります。
◆税も社会保険料も負担を求めること自体が問題なのではありません。納得感がないことが問題なのです。
今回のようなことが続くと、国民が政府に対して「気をつけていないとあれこれ理由を付けて事あるごとにおカネをとられかねない」と思うようになります。
社会保険制度をこんなふうに使ってよいのかという感じを多くの人が持っているのではないでしょうか。
◇丁寧な説明が必要
――子育て政策はどこまでその効果が考えられているのでしょうか。
◆「少子化傾向を反転させる」という岸田文雄首相の説明は、一般の人には出生数が増えるかのように受け取られます。
実際には仮に政策がうまくいって、出生率が多少上がったとしても、減り方が少しゆるやかになるだけです。人口が減ることに変わりはありません。「反転させる」も「ラストチャンス」もおおげさで、まぎらわしい表現だと思います。
今、生まれた子どもが大人になるには20年近くかかりますから、この先20年ほどの間に出産可能な年齢の女性の数はすでに決まっています。出生率が大きく上がることも見込めません。子どもの数を増やすことには限界があるのです。
――出生率ばかり強調されます。
◆子どもが減ると大変なことになる、国難だということで、少子化対策が聖域のようになっています。子育て支援は大切ですが、費用対効果をきちんと見極める必要があります。
出生率が上がれば全部解決するかのような言い方は誤りです。そのようなスタンスでは、人口減少を前提とした政策をとることが難しくなります。出生率を上げる、と言って問題の先送りを続ける余裕は、今の日本にはありません。