マグロを追い求めて世界中を旅した出羽島の漁師「わしも世界中の海に行ったで。スペインのラス・パルマスも行った」

AI要約

日本の遠洋漁業史と軌を一にする出羽島の歴史を紐解く

出羽島は漁業の拠点として栄え、70歳以上の男性たちは世界中の海での体験を語る

遠洋漁業の衰退により、島の男性たちは内航海運や沿岸漁業に転向した

 超高齢化と人口減少の時代に突入している日本にとって、僻地の集落が衰退し、消えていくのは、もはや避けられないことだ。

 もっとも、消えゆくコミュニティであっても、そこで暮らす人々の営みがあり、長年、堆積した時間の“地層”がある。それは、徳島県の太平洋側に浮かぶ出羽島(てばじま)も同じだ。今回は、日本の遠洋漁業史と軌を一にする出羽島の歴史を紐解く。

 (篠原 匡:編集者・ジャーナリスト、蛙企画代表)

 この島の歴史は、対岸の牟岐(むぎ)町に住む家族が入植した江戸時代後期にさかのぼる。

 当初は貧しい島だったが、1914(大正3)年に「阿波沚(あわはえ)」が発見されたことで島の状況は一変。その後はカツオ・マグロ漁の一大拠点として大いに栄えた。

 大正・昭和初期の最盛期、港には、漁に出るカツオ・マグロ漁船が並び、カツオ節工場が軒を連ねていた。遠く高知から働きに来る人もいたという。

 阿波沚は室戸岬の南東に広がる浅い海底部。周辺は好漁場として知られている。

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■ 出羽島の歴史は日本の漁業史そのもの

 遠洋漁業の島として栄えた歴史もあり、島で育った男性は中学を出るとそのまま船乗りになった。

 70歳以上の島の男性に話を聞けば、ハワイ沖で時化に遭って死にかけた話、大西洋や地中海、遠く南米まで公開した話がごろごろと出てくる。

 「やっぱり本マグロやな。そのために、オーストラリアの南に行くんですね。オーストラリアから2日くらいかけて。でも、そこはいつも時化でね。うかうかしよったら流されてしまう。何杯も、あそこで沈んだんじゃないですかね」

「ハワイを出て3日目、ミッドウェー島の辺りでものすごい時化にあって。もう信じられないような波」

「わしも世界中の海に行ったで。インド洋から太平洋、赤道直下のところまで。スペインのラス・パルマスも行った」

 その後、200海里水域の設定によって遠洋漁業が衰退すると、島の男性の多くはマグロ船を降り、内航海運やタンカー船の乗務員になるか、出羽島に戻り、沿岸漁業の漁師になった。

 島に戻らず、マグロ漁で滞在していた三崎漁港(神奈川県)に腰を落ち着けた人も少なくない。