凶弾の記憶 伝え続ける 一部始終を撮影した奈良の村議の思い

AI要約

安倍晋三元首相が銃撃された現場で出来事をビデオカメラで記録した奈良県山添村議の大谷敏治さん。事件から2年が経ち、彼は事件を語り継ぎたいという気持ちを持ち続けている。

大谷さんは安倍氏の演説会場で応援をしていた際、突如爆発音と共に倒れた安倍氏をビデオカメラで撮影。事態を記録し続けた彼は、報道目的で映像を提供し、使命感から事件を風化させずに伝える決意をしている。

事件から2年が経つ中、大谷さんは事件について同じように問われることは減ったが、忘れられることなく事件を伝え続ける意志を持ち続けている。

凶弾の記憶 伝え続ける   一部始終を撮影した奈良の村議の思い

マイクを握った安倍晋三元首相は、突如響いた爆発音とともに倒れたー。令和4年、安倍氏が銃撃された現場に居合わせ、一部始終をビデオカメラで撮影した男性がいる。奈良県山添村議の大谷敏治さん(48)。当時の映像は、事件を伝える貴重な記録として多くのメディアで流された。あれから8日で2年。「事件を語り継ぎたい」という思いは、今も変わらない。

■逡巡後の決意

「『もう2年』という気持ちと、『まだ2年』という気持ち。自分には、両方があります」。2年という時が流れる中、事件についての記憶が薄れていく一方、当時のことが脳裏に鮮明に浮かぶ瞬間もあるという。

4年7月8日。参院選の投開票を2日後に控え、自民党候補の応援のため、演説会場だった奈良市の近鉄大和西大寺駅前を訪れていた。ビデオカメラの撮影が趣味の大谷さんは、安倍氏が応援に駆けつけると聞いていたため、カメラ片手に演説開始の1時間前から場所取りをしていた。

「安倍さんは独特なオーラがあるとともに、優しげな雰囲気を持った方でした。交流サイト(SNS)に載せるために、少しでもかっこいい姿を撮ろうと、安倍さんの演説が始まってもズームをアップしたり引いたりしていました」

そんな中、タイヤが破裂するような爆音が2回聞こえた。気がつけば安倍氏は倒れ、周りにいた新聞記者があわてて駆け寄っていくのが見えた。ここでカメラを止めるべきか。周囲が騒然とする中で逡巡したが、思い直した。「この事件の全容を記録しないといけない」。現場にブルーシートがかけられ、救急車が到着するまで約40分間、ひたすらカメラを回し続けた。

■問い続ける課題

そのときの映像は、要望があったマスコミ各社に提供し、安倍氏の死亡から四十九日がたったのを機に、カメラから消去した。「報道で多くの人の目に触れ、一定の役割を終えたと思ったから」。ただ、自分の中に残ったものもある。「事件を風化させてはいけない」という使命感だ。

事件直後は、多くの人から当時について聞かれ、積極的に話すようにしていた。1年過ぎたころから、あまり聞かれることがなくなり、時折話題にのぼっても「大変でしたね」とねぎらわれる程度になった。