“EV世界一”を達成した「BYD」 大成長を遂げた根本理由とは? そのカギは前進的“模倣”だった

AI要約

比亜迪(BYD)は、中国の電池メーカーから世界最大の電気自動車メーカーへと急成長した企業である。

BYDの自動車産業への参入は、買収を通じて始まり、西安秦川汽車を取得することで自動車製造業界に参入した。

初期の評価は厳しいものだったが、BYDは自動車業界での成功を果たし、急成長を遂げた。

“EV世界一”を達成した「BYD」 大成長を遂げた根本理由とは? そのカギは前進的“模倣”だった

 中国の電池メーカーが驚異的な成長を遂げ、世界最大の電気自動車(EV)メーカーとなった比亜迪(BYD)。その飛躍的な躍進は世界に衝撃を与えた。同社の創業者・王伝福氏は卓越した洞察力とユニークな経営手腕を発揮し、この成長を導いた。同社は、電池事業で培った「人とテクノロジーの融合」の生産方式を武器に自動車業界に参入。2005年に発売した「F3」は瞬く間に中国市場を席巻。各国の政府の後押しもあり、急成長を遂げた。本連載では、BYDの急成長の要因を分析し、その実力を明らかにしていく。

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 連載第2回となる前回の記事「BYD、“パクリメーカー”の汚名を返上し「リチウムイオン電池」で大成長 その背後にあった「非特許技術」の活用とは」(2024年6月19日配信)では、BYDの電池業界における成長について書いた。今回は、BYDが電池業界から自動車業界へと事業を拡大し。成功を収めるに至った戦略について書いていく。

 電池業界で成功を収めた後、創業者の王氏はさらなる成長と新分野への進出を目指していた。そのターゲットとなったのが自動車業界だった。

 BYDの自動車産業への参入は、すでに必要なノウハウを持つ企業の買収から始まった。彼らが目をつけたのは、当時経営不振に陥っていた国有企業の西安秦川汽車だった。

 西安秦川汽車は中国中央部にある陝西(せんせい)省の省都・西安市に拠点を置く軽自動車メーカーで、ドイツ、スペイン、日本から輸入した設備を使って自動車を製造していた。しかし、改革開放の波で効率的な経営環境を構築できず、販売は低迷していた。

 王氏は、この絶好の機会を逃さなかった。2003年1月23日、BYDは香港証券取引所を通じて同社の株式77%を2億6950万元で取得し、自動車製造業界に参入すると発表した。

 しかし、世間の反応は厳しいものだった。すでに電池事業で成功を収めていたが、自動車製造に関してはまったくの素人だったからだ。業界はすぐに彼らを無謀だと判断した。BYDの株価は、機関投資家からの売り注文により急落し、わずか3日間で26.76%下落、時価総額から27億香港ドルを飛ばしてしまった。