権威に固執し、地位と肩書に魅了されていないか

AI要約

大手ソフトウェア企業の広告として、牛を構成要素とする組織図が用いられることで、組織の調和と部位の役割について考えさせられる。

組織図にとらわれすぎず、「箱」の外で考えることの大切さと、組織図が示すだけでなく、実際に組織内で起きていることを見るべきだという指摘。

組織図中心の組織観が生み出す問題や、組織改編の頻繁さがもたらす混乱について考察し、物理的なオフィス再構成が真の組織改編として提案される。

権威に固執し、地位と肩書に魅了されていないか

■プレーヤーと構成要素

 ある大手ソフトウェア企業が何年か前に、これとよく似たイラストを広告で用いたことがある。その広告いわく、ここに描かれているものは一頭の牛とは呼べない。これは、言ってみれば牛の「組織図」だ。つまり、牛を構成する部位の寄せ集めでしかないのである。牛が元気に生きているならば、それぞれの部位はみずからが牛のひとつの部位であることを意識しない。ひとつひとつの部位が役割を果たし、その結果としておのずと一頭の牛として全体の調和が取れる。この広告はこう問い掛けた。あなたは、自分の会社を「部位の寄せ集め」にしたいのか。それとも、生きた牛のようにしたいのか。

 これは非常に重要な問いだ。じっくり考えてみてほしい。牛は、部位の寄せ集めではなく、すべてが一体を成した存在として生きることになんの苦労もしていない。その点は、私たち人間も同じだ。少なくとも生理学的には、そう言って差し支えない。では、ほかの人たちと一緒に行動することには、どうしてこんなに苦労するのか。それは、私たちが組織図にこだわりすぎるからなのだろうか。

■「箱」の外で考える

「箱(=固定観念)の外で考えよう」としきりに言われる。しかし、現実には、私たちは「箱」の中でものごとを考えている場合が非常に多い。とくに、いくつもの「箱」が並んだ組織図(図表2-1)の世界にとらわれているケースが往々にしてある(この種の組織図は18世紀にはじめて登場すると、とどまることのない勢いで世界を席巻し、今日にいたる)。

 こうした組織図を組織そのものと考えるべきなのか。牛の骨格標本は牛そのものと言えるのか。組織図に描かれる四角い箱がマネジャーで、箱と箱を結ぶ直線が組織内の会話なのか。それとも、これらの箱は、私たちの思考を閉じ込めるだけなのか。

 言うまでもなく、組織図にも利点はある。さまざまな町と、町と町の間を結ぶ道路を描いた地図と同じように、組織図は、その組織のさまざまな部分と人物がどのように部署を構成していて、それらの部署が正式な権限(誰がどのような肩書をもっていて、誰が誰の部下なのかという関係)を通じて、どのように結びついているかを明らかにできる。しかし、地図をながめていても、その土地の経済や社会の状況が見えてこないのと同じように、組織図を見ても、その組織でどのようにものごとが起きているのかはわからない。ましてや、どうしてそのようなことが起きているのかを知ることはできない。ときには、それぞれの部署がどのような業務を担っているかもはっきりしない場合がある。こうした組織図が浮き彫りにしているのは、私たちが権威に固執し、地位と肩書に魅了されているという現実だ。私たちは、誰がトップで、その下が誰で、その下が……といったことにばかり関心を払っている。

トップマネジャーは、なにのトップにいるのか 私たちは、「トップマネジャー」という言葉をあまりよく考えずに使っている。トップマネジャーと呼ばれる人たちは、いったいなにの「トップ」(上)にいるのか。なるほど、組織図のいちばん上にいることは確かだ。それに、給料の額がいちばん上なのも間違いない。また、本社ビルのいちばん上のフロアにオフィスを構えている場合もあるかもしれない。

 しかし、そうしたトップマネジャーたちは、組織で起きていることをすべて把握できているのか。できていないと言わざるをえない。ほかの人たちすべてを自分より下と考えているようでは、それはほぼ不可能だ。

 トップマネジャーの下には、「ミドルマネジャー」がいる。この人たちは、確かに組織図の「ミドル」(中央)にいる。けれども、その組織で起きていることの真ん中にいると言えるだろうか。ミドルマネジャーのなかには、情報を組織階層の上から下へ、下から上へと受け渡すだけの人もいれば、現場での行動とオフィスでの抽象的思考を結びつける役割を果たそうとしている人もいる。この後者のタイプのマネジャーは、「コネクティング(結合)マネジャー」と呼ぶべきかもしれない。

 では、「ボトムマネジャー」は? あなたはボトムマネジャーという言葉を聞いたことがあるだろうか。組織にトップマネジャーとミドルマネジャーがいるとすれば、組織図のボトム(底辺)に、ボトムマネジャーもいるはずだ。実際、この言葉そのものは用いられていなくても、当のボトムマネジャーたちは、自分が組織図の、ことによると組織そのもののどこに位置しているかを明確に認識している。

 あなたがこのような組織の歪みを正したいのであれば、「ボトムマネジャー」という言葉を使う覚悟がない限り、「トップマネジャー」という言葉の使用を禁止してはどうか。

■繰り返される組織改編

 図表2-2を見てほしい。これは、図表2-1の組織で組織改編がおこなわれたあとの組織図だ。2つの組織図の違いがわかるだろうか。異動したマネジャーたち自身は、もちろんわかるだろう。新しい肩書を手にし、新しい「上司」と新しい「部下」―「隷属する人」とは、ずいぶんおぞましい言葉だが―をもつようになったのだから。しかし、肩書や上司・部下の関係が組織のすべてではないはずだ。ものごとをどのように見るかが認識に及ぼす影響の大きさを考えると、このような組織図中心の組織観は改めるべきだろう。

 組織改編がこれほど頻繁におこなわれるのは、それがとてもお手軽に実行できるからだ。紙とペンがあれば、すぐにできる。鉛筆と、よく消える消しゴムを用意できれば、もっといい。さらに欲を言えば、コンピュータのスクリーンと、バカでかい「消去」ボタンがあれば最高だ。こうした道具を使って、経理はここ、マーケティングはここ、という具合に組織図を描き上げていく。トラヴィスは運輸大臣、ダフネは国防大臣、などというケースもあるだろう。その結果、生み出されるのは……そう、完全な混乱状態だ。こんな言葉を残している人がいる。

「我々は懸命に訓練に励んできた。しかし、ようやくチームが形づくられ始めると、いつも決まって組織改編がおこなわれるように思えた。あとになってわかったのだが、私たちは新しい状況に直面すると、組織改編をおこなう傾向があるのだ。そうした試みは、あたかも自分たちが前進しているかのような幻想をつくり出すうえでは、目覚ましい効果があるのかもしれない。しかし、実際には、混乱と非効率、そして士気の低下を生み出している」(これは、古代ローマ帝国の政治家ガイウス・ペトロニウスの言葉とされることが多いが、実際には1948年頃に記された言葉らしい)

 こんなことをするよりは、オフィスを物理的に再構成したほうがいい。デスクの場所を大幅に入れ替えるのだ。新しい座席配置を決める人は、苦労が増えるかもしれないが、それ以外のすべての人にとっては負担が減る可能性がある。このようなオフィスの再構成をきっかけに、突然、エンジニアリング部門で働くイーニドが、マーケティング部門のマックスの隣で仕事をすることになる。すると、2人は互いに対する不満をこぼし続けるのではなく、直接会話するようになる。せめて給湯室での立ち話は生まれるだろう。その場に上司の姿は見当たらない。これこそが真の組織改編ではないだろうか!