# 魚雷の爆発
2024.08.05
8月9日午前11時3分、長崎のトンネル内の工場に雷が走り、挺身隊の多くが命を落とした。歩けるからとそのまま帰され、たどり着いた鹿児島で足に刺さったガラスを抜いた。戦後40年たって、まだ痛む左腕を調べてもらうとガラス片が見つかった。一生忘れられない記憶とともに、大切に保管している【証言 語り継ぐ戦争】
■笠利イモコさん(96)奄美市笠利 1944(昭和19)年4月、名瀬町(現奄美市)の名瀬港から連絡船「金十(かなと)丸」で鹿児島に渡り、汽車で長崎市に向かった。「大島女子勤労挺身(ていしん)隊(大島女子挺身隊)」として三菱兵器大橋工場で働くためだ。 当時16歳で大島