# 連合艦隊

海軍乙事件の全容 漂流する中将らが投棄した“機密文書”が、その後の戦局を左右した
2024.08.27

海軍乙事件の全容 漂流する中将らが投棄した“機密文書”が、その後の戦局を左右した

マリアナ沖海戦の3カ月前、日本海軍はその後の作戦に大きな影響を及ぼすミスを犯していた。昭和19年(1944)3月、機密文書を紛失したのである。世にいう「海軍乙事件」だが、日本海軍はその対処においても、過誤を重ねてしまう。そこから見える日本海軍の問題点に迫る。※本稿は、『歴史街道』

「急きょ、大和の特攻を考えたと」連合艦隊参謀の“肉声”発掘 戦艦大和「水上特攻」79年目の真実
2024.08.15

「急きょ、大和の特攻を考えたと」連合艦隊参謀の“肉声”発掘 戦艦大和「水上特攻」79年目の真実

 太平洋戦争で日本の敗北がすでに決定的となっていた1945年4月。連合艦隊参謀・三上作夫は、海軍航空部隊の前線基地がある鹿児島県・鹿屋にいた。 三上は当時37歳。的確な戦況分析と沈着冷静な性格を買われて44年9月、連合艦隊参謀に抜擢されたエリートだった。三上は参謀として水上部隊の

戦艦「大和」よりスゴかった? 史上最多の被弾で沈んだ“日本最後の戦艦”とは
2024.08.05

戦艦「大和」よりスゴかった? 史上最多の被弾で沈んだ“日本最後の戦艦”とは

 82年前の1942(昭和17)年8月5日、旧日本海軍の戦艦「武蔵」が竣工しました。「武蔵」は世界最大の主砲口径と排水量を持つ戦艦「大和」の同型艦で、我が国最後の戦艦です。 1921(大正10)年にワシントン海軍軍縮条約が締結されてから、日本海軍はしばらく戦艦を建造できなくなりま

東郷平八郎「武士の情け」より「停止」 降伏旗を掲げたバルチック艦隊に大砲を撃ち続けた理由
2024.07.14

東郷平八郎「武士の情け」より「停止」 降伏旗を掲げたバルチック艦隊に大砲を撃ち続けた理由

 日露戦争・日本海海戦は世界の海戦史上でも例のない完勝だった。それは徹底した砲撃訓練戦術の研究、火薬や信管の開発など入念で周到な準備に支えられた連合艦隊がもたらしたものだ。世界が驚嘆した日本海海戦における日本の秘策を4回にわたって解説する。最終回の4回目は「歴史的勝利と講和条約」。(『歴史道』

強大な清・北洋艦隊を撃破! お雇い外国人から伝授された連合艦隊の「斬新な戦法」とは
2024.07.07

強大な清・北洋艦隊を撃破! お雇い外国人から伝授された連合艦隊の「斬新な戦法」とは

 明治維新から30年足らずだった日本は、当時、侮れない存在として「眠れる獅子」と称されていた清とどのように戦ったのか。誰も予想しえなかった日本勝利で終わった日清戦争を、テレビでもおなじみの河合敦さんが8回にわたって解説する。第5回は「黄海海戦1894年9月17日」。 *  *