# 戦時体験

「語り部としてしっかり伝える」シベリア抑留慰霊祭 県内で初めての開催【佐賀県】
15時間前

「語り部としてしっかり伝える」シベリア抑留慰霊祭 県内で初めての開催【佐賀県】

終戦後、旧ソ連のシベリアに抑留され、過酷な労働などにより犠牲になった人を弔う慰霊祭が県内で初めて行われました。この慰霊祭は抑留された人の体験などを風化させないよう活動している団体などが開いたもので、県内では初めての開催です。この日は県内の抑留体験者やその遺族など65人が参列し、祭

夕立に息子の無事願掛けた母 戦意喪失を目的にまかれたビラ 戦後79年―語り継ぐ戦争の記憶④/兵庫・丹波篠山市、丹波市
2024.08.31

夕立に息子の無事願掛けた母 戦意喪失を目的にまかれたビラ 戦後79年―語り継ぐ戦争の記憶④/兵庫・丹波篠山市、丹波市

 今年で終戦から79年が経過した。戦争を体験した人や、その遺族の多くが高齢化、もしくは亡くなる中、丹波新聞社の呼びかけに対し、その経験を次世代に語り継ごうと応じていただいた人たちの、戦争の記憶をたどる。今回は谷垣悟さん(89)=兵庫県丹波市氷上町稲畑=。 昭和10年1月、多紀郡(

ソ連兵にだまされた。連行された収容所はマイナス40度の世界。死体を埋める墓穴を掘ろうにも、凍土は硬く1センチも削れなかった【証言 語り継ぐ戦争】
2024.08.18

ソ連兵にだまされた。連行された収容所はマイナス40度の世界。死体を埋める墓穴を掘ろうにも、凍土は硬く1センチも削れなかった【証言 語り継ぐ戦争】

■大久保利成さん(99)鹿児島県伊佐市大口里 1945(昭和20)年9月1日、平壌の演習場に全員が集められた。10日ぐらいすると、周囲の丘にソ連兵の歩哨が見え、捕虜になったと実感した。10月初め、日本海に面した元山港捕虜収容所に移動した。 11月中旬にソ連兵通訳から

8月9日午前11時3分、長崎のトンネル内の工場に雷が走り、挺身隊の多くが命を落とした。歩けるからとそのまま帰され、たどり着いた鹿児島で足に刺さったガラスを抜いた。戦後40年たって、まだ痛む左腕を調べてもらうとガラス片が見つかった。一生忘れられない記憶とともに、大切に保管している【証言 語り継ぐ戦争】
2024.08.05

8月9日午前11時3分、長崎のトンネル内の工場に雷が走り、挺身隊の多くが命を落とした。歩けるからとそのまま帰され、たどり着いた鹿児島で足に刺さったガラスを抜いた。戦後40年たって、まだ痛む左腕を調べてもらうとガラス片が見つかった。一生忘れられない記憶とともに、大切に保管している【証言 語り継ぐ戦争】

■笠利イモコさん(96)奄美市笠利 1944(昭和19)年4月、名瀬町(現奄美市)の名瀬港から連絡船「金十(かなと)丸」で鹿児島に渡り、汽車で長崎市に向かった。「大島女子勤労挺身(ていしん)隊(大島女子挺身隊)」として三菱兵器大橋工場で働くためだ。 当時16歳で大島

ネズミを食べ生き延びた日々 南洋群島、戦禍の記憶 遺品や証言で
2024.08.03

ネズミを食べ生き延びた日々 南洋群島、戦禍の記憶 遺品や証言で

 「戦場となった南洋の島々」と題した企画展が、滋賀県平和祈念館(東近江市下中野町)で開かれている。第一次大戦後に日本が統治し、太平洋戦争で県関係者も多数犠牲となった南洋群島を、写真や遺品、証言パネルなど百数十点で振り返っている。【伊藤信司】 同館によると昭和初期からの県出身戦没者

戦争を知る人がいよいよいなくなる…危機感抱く87歳が「語り部」活動を本格スタート 小学校を巡り体験や証言伝える
2024.05.17

戦争を知る人がいよいよいなくなる…危機感抱く87歳が「語り部」活動を本格スタート 小学校を巡り体験や証言伝える