# 富山大空襲

「遺体のほとんどは黒焦げに…」富山大空襲を経験した女性の遺志を「語り継ぐ会」”記憶”をいかに後世に遺すか 長岡戦災資料館に学ぶ
2024.09.07

「遺体のほとんどは黒焦げに…」富山大空襲を経験した女性の遺志を「語り継ぐ会」”記憶”をいかに後世に遺すか 長岡戦災資料館に学ぶ

戦後79年が経ち、戦争体験者が減少する中、富山大空襲の記憶の継承や資料の保存も年々難しくなっています。後世に伝えるための拠点を求めて市民団体が動き始めました。「ヒフただれミ痛む痛ましいムザンな姿である大声で「殺して呉(く)れー」と叫ぶ見ていられない」これはある女性が

戦禍の記憶継承を長岡に学ぶ 富山大空襲を語り継ぐ会、資料館の重要性確認
2024.08.18

戦禍の記憶継承を長岡に学ぶ 富山大空襲を語り継ぐ会、資料館の重要性確認

 富山大空襲を語り継ぐ会は17日、79年前に空襲を受けた新潟県長岡市内を巡る研修バスツアーを行った。同会は、県内で戦争遺品や資料などを常設展示する場の開設を目指している。参加者12人は、長岡戦災資料館や慰霊の花火である「長岡花火」に関する施設を見学し、後世に戦禍の記憶を継承するための場の重要性

語り部は16歳の女子高校生 祖父の空襲体験 3世代で語り継ぐ…それぞれの “戦争と平和”  富山大空襲 79年
2024.08.04

語り部は16歳の女子高校生 祖父の空襲体験 3世代で語り継ぐ…それぞれの “戦争と平和”  富山大空襲 79年

富山市の市街地を焼け尽くし推定3千人の命を奪った富山大空襲から79年となります。体験者が高齢化で減少していく中、3世代にわたって記憶をつなぎ平和の大切さを訴えていこうと「語り部」活動を始めた家族がいます。10歳で空襲を体験した佐藤進さん(89)「何とか家族全員避難す

富山大空襲の事実…“デジタル”で残すか“現物”で残すか 藤井富山市長「実物を展示することに対して議論していきたい」【市長会見要約】
2024.08.02

富山大空襲の事実…“デジタル”で残すか“現物”で残すか 藤井富山市長「実物を展示することに対して議論していきたい」【市長会見要約】

来年、2025年は戦後80年という節目の年です。戦争体験者が年々減り、多くの資料や戦争の遺品が失われることが懸念されるなか、富山市の藤井市長は2日の記者会見で、富山大空襲の事実を被災した物を通して現物を見て考えていくというのは非常に大事だと述べました。これは2日に行われた富山市長

「今ある平和を大切に」富山大空襲から79年で誓いのつどい「戦争だけはやってはいけない」平和の誓い新たに【戦争の記憶とやま 2024】
2024.08.01

「今ある平和を大切に」富山大空襲から79年で誓いのつどい「戦争だけはやってはいけない」平和の誓い新たに【戦争の記憶とやま 2024】

約3000人が犠牲となった富山大空襲から79年です。富山市では1日、戦災からの復興に尽力した先人をしのぶ集いが開かれました。「富山市民感謝と誓いのつどい」は戦後、市の発展に尽力した先人の遺徳をしのぶとともに戦争の悲惨さを後世に伝えようと、富山大空襲の前日に毎年開催されています。<

大空襲 語り部は16歳 富山、1日で79年 祖父の記憶「若い世代こそ聞いて」
2024.08.01

大空襲 語り部は16歳 富山、1日で79年 祖父の記憶「若い世代こそ聞いて」

  ●西田さん(国際大付高)児童30人に  富山市中心部を焼き尽くした1945(昭和20)年8月1日の富山大空襲で九死に一生を得た祖父の記憶を受け継ごうと、富山国際大付高1年の西田七虹(ななこ)さん(16)=富山市=が31日、最年少の語り部としてデビューした。市内の放課後児童クラ