# 原爆被爆者

被爆体験者訴訟の判決めぐり長崎市に要望 「全員救済するよう厚労省を説得して」
2024.09.12

被爆体験者訴訟の判決めぐり長崎市に要望 「全員救済するよう厚労省を説得して」

長崎に原爆が投下されたとき、国が定めた「被爆地域」の外にいた「被爆体験者」の一部を長崎地裁が被爆者と認める判決が出たこと受け、原告側が長崎市に対し改めて控訴の断念と政治判断による全員の被爆者認定を求めました。「被爆体験者」と支援者は長崎市役所を訪れ、市の担当者と意見を交わしました

「被爆体験者」訴訟めぐり 長崎県知事ら厚労省訪問
2024.09.12

「被爆体験者」訴訟めぐり 長崎県知事ら厚労省訪問

長崎に原爆が投下された際、国が定める地域の外にいた「被爆体験者」の一部を被爆者と認めた長崎地裁の判決を受け、長崎県知事と市長が厚生労働省を訪れ、控訴を断念するよう訴えました。長崎県 大石賢吾知事「控訴断念することが地元の強い想いであるということを伝えました」

【今日は何の日:9月11日】1900年、初めて、電話局以外に場所に公衆電話が設置された都内の2つの駅はどこでしょう?
2024.09.11

【今日は何の日:9月11日】1900年、初めて、電話局以外に場所に公衆電話が設置された都内の2つの駅はどこでしょう?

2012(平成24)年 日本政府が沖縄県・尖閣諸島を地権者から20億5000万円で購入し、国有化した。1900(明治33)年 それまで電信局・電話局内にしか設置されていなかった公衆電話が、初めて街頭に進出。新橋駅と上野駅の構内に設置された。当時は「自働電話」と呼ばれた。<

長崎の被爆体験者訴訟で一部認定 広島の弁護団「問題をはらんだ判決」
2024.09.09

長崎の被爆体験者訴訟で一部認定 広島の弁護団「問題をはらんだ判決」

長崎の被爆体験者の一部しか被爆者と認められませんでした。訴訟は2007年に始まり第1陣、2陣ともに最高裁で敗訴が確定していましたが、原告の一部が被爆者と認め被爆者健康手帳を交付するよう再提訴していました。9日の判決で長崎地裁は国が定めた被爆援護区域外で長崎原爆にあっ

「ブラジルの在外被爆者支援の道切り開いた」 森田隆さんを悼む声
2024.08.14

「ブラジルの在外被爆者支援の道切り開いた」 森田隆さんを悼む声

 広島で被爆し、移住先のブラジルで在外被爆者の援護拡大に尽力した森田隆さんが12日、100歳で亡くなった。森田さんは1984年、サンパウロ市内で「在ブラジル原爆被爆者協会(ブラジル被爆者平和協会に改組)」(2020年解散)を設立。在外被爆者にも日本に住む被爆者と同様の援護をすべきだと訴えて訴訟

森田隆さん死去、100歳 在外被爆者援護に尽力
2024.08.14

森田隆さん死去、100歳 在外被爆者援護に尽力

 広島市で被爆後にブラジルに移民し、在外被爆者援護実現に尽力した森田隆さんが12日、老衰のためサンパウロ市内の病院で死去した。 100歳だった。 1924年、広島県生まれ。45年8月の原爆投下時、旧日本陸軍憲兵として爆心地近くで働いていて被爆した。56年、家族と共に

森田隆さん死去 在外被爆者援護の道開く
2024.08.14

森田隆さん死去 在外被爆者援護の道開く

 【サンパウロ共同】ブラジルで被爆体験の証言を続け、在外被爆者援護の道を切り開いた森田隆(もりた・たかし)さんが12日、サンパウロ市の病院で老衰のため死去した。100歳だった。 1924年、広島県砂谷村(現広島市佐伯区)生まれ。21歳の時に広島の爆心地近くで、旧日本陸軍の憲兵とし

「次世代にどうつなぐか」 平和祈念原爆展で被爆者が語った体験
2024.08.08

「次世代にどうつなぐか」 平和祈念原爆展で被爆者が語った体験

 広島市に原爆が投下されてから79年となった6日、同市で被爆した中村紘(ひろし)さん(81)=千葉県八千代市在住=が原爆の被害について語った。千葉市中央区の県庁1階で開かれた「平和祈念原爆展」(県原爆被爆者友愛会主催)の一環。中村さんは「次の世代にどうつなぐかが一番の課題」と繰り返し語りかけた