# ペリリュー島

自民・下村氏が靖国参拝「日本を立て直すことを誓った」 今年は支援者を伴わず1人で参拝
2024.08.14

自民・下村氏が靖国参拝「日本を立て直すことを誓った」 今年は支援者を伴わず1人で参拝

自民党の下村博文元政調会長が終戦の日前日の14日、東京・九段北の靖国神社を参拝した。下村氏は参拝後、FNNの取材に対し「英霊の御霊に対する安らかな思いをもっていただけるように、またしっかりと日本を立て直していくことをお誓いをさせていただいた」と述べた。下村氏は、安倍派の政治資金事

「戦死したのは皆、餓死。骨と皮になって死んでますよ」パラオで飢餓地獄をさまよった日本兵の証言《サツマイモの盗み食いで銃殺も》
2024.08.14

「戦死したのは皆、餓死。骨と皮になって死んでますよ」パラオで飢餓地獄をさまよった日本兵の証言《サツマイモの盗み食いで銃殺も》

〈「棒地雷を持ったまま、戦車に突っ込め!」1万2000人が戦死したペリリュー島の壮絶な戦法《帰還兵の証言》〉 から続く日米双方で約1万2000人が戦死した西太平洋の島・ペリリュー島(西太平洋、パラオ共和国)。元日本兵の尾池隆氏はペリリュー島での戦闘には加わららず、パラオ本島で後

「棒地雷を持ったまま、戦車に突っ込め!」1万2000人が戦死したペリリュー島の壮絶な戦法《帰還兵の証言》
2024.08.14

「棒地雷を持ったまま、戦車に突っ込め!」1万2000人が戦死したペリリュー島の壮絶な戦法《帰還兵の証言》

日米双方で約1万2000人が戦死した悲劇の島・ペリリュー島(西太平洋、パラオ共和国)。この島から生還できた日本兵はわずか34名だった。そのうちの一人、土田喜代一氏にノンフィクション作家の早坂隆氏が戦場の記憶を訊いた。◆◆◆〈「ペリリュー島から帰還した三十四名」の内の

ペリリュー島の海岸線一帯は一挙に火の海…わずか1万の日本軍は4万2000人の米軍にどのように戦いを挑んだのか?
2024.08.11

ペリリュー島の海岸線一帯は一挙に火の海…わずか1万の日本軍は4万2000人の米軍にどのように戦いを挑んだのか?

〈太平洋戦争最大の激戦地・ペリリュー島を死守した中川州男大佐の実像「中川大佐は実に細やかな人だった」〉 から続く 4万2000人の米軍相手にわずか1万人の日本軍が奮戦し、74日間に及ぶ徹底抗戦を繰り広げたペリリュー島の戦い。守備隊指揮官・中川州男大佐はどのような戦略を練っていた

太平洋戦争最大の激戦地・ペリリュー島を死守した中川州男大佐の実像「中川大佐は実に細やかな人だった」
2024.08.11

太平洋戦争最大の激戦地・ペリリュー島を死守した中川州男大佐の実像「中川大佐は実に細やかな人だった」

 太平洋戦争末期の1944年9月から約2カ月間行われたペリリュー島の戦い。激戦地となった島の守備隊指揮官だったのが、中川州男大佐である。米軍が「数日で落とせる」と見通していた島を、中川大佐は74日間もどのように守ったのか。ここでは 『ペリリュー玉砕 南洋のサムライ・中川州男の戦い』 (文春新書

米海兵隊「因縁の地」に再び降り立つ ペリリュー島に飛行場新設 その目的とは?
2024.07.07

米海兵隊「因縁の地」に再び降り立つ ペリリュー島に飛行場新設 その目的とは?

 アメリカインド太平洋軍は2024年2月26日、パラオのペリリュー島で新たに指定された滑走路に第1海兵航空団所属の軍用機が降り立ったことを発表しました。 同滑走路はペリリュー島を領有しているパラオとの間の取り決めで2024年6月に新たに使用が決まった滑走路とのことで、最初の1機と