中学生のとき「おっぱいデカいよな」と言われたバービーが妊娠した身体の激変に思うこと

AI要約

バービーさんが妊娠による身体の変化について考察。おっぱいを通じて女性としての自覚を得る過程を振り返り、母乳を出す道具としてのおっぱいの変化に新たな意味を見出していく。

女性とおっぱいの関係、フェミニズム運動とのかかわりを探る。おっぱいを自分のものにし、性的消費の対象から解放したいという想いを語る。

妊娠によるおっぱいの変化を通じて、おっぱいの存在意義が変わりつつあることに気づく。新たな段階に向かう予感を抱く。

中学生のとき「おっぱいデカいよな」と言われたバービーが妊娠した身体の激変に思うこと

 フォーリンラブのバービーさんが芸人として、ひとりの女性として、モヤモヤしたことや疑問に思ったことなどと向き合い、自らの言葉で本音を綴っているFRaUweb連載「本音の置き場所」(毎月1回更新)。今回は、2024年5月30日に第一子妊娠を発表したバービーさんの身体の変化について。妊娠すると女性の身体にはさまざまな変化が生じますが、バービーさんにはどんな変化が起こっているのでしょうか。

 『おっぱいがくっついている私を、“人”として認めてほしいだけなんだ』

 これは本連載の過去の記事に記し、私のエッセイ本の帯にもなった一文だ。私にとって、女性としての自覚は、おっぱいの歴史と言っても過言ではない。

 中学生のとき「笹森っておっぱいデカいよな」と言われて、この身体が幼稚園から一緒の男子に女体と認識されていることに衝撃を受けた。他と比べたこともなければ、自分のおっぱいが膨らんできたことも深く考えたことがなかったからだ。

 おっぱいから先の自分に辿り着いてもらえないことに苛立ち、大学生にもなれば、スッキリとしたシャツも似合わなくて、重力に逆らい膨張する胸を疎ましく感じるときもあった。

 しかし、時に自分のおっぱいに自惚れることも。

 デブ、ブスと蔑んでくる人も、おっぱいに象徴される女体には敬いの視線を送ってくるからだ。スナックや部活、芸人など……男性ばかりのコミュニティでケチョンケチョンにやられてるときでも、勝手におっぱいを意識されて、空気が一瞬怯むのを感じたことがある。

 私とおっぱいの解離。

 女性たらしめる8割をおっぱいが担っているように感じるときもあった。

 だから私は下着作りを始めたかったのだと思う。

 おっぱいの解放は、ある意味フェミニズム運動で私たちのためになると信じていた節がある。

 なぜか、私が作る下着は、身につける人だけを鼓舞するからだ。そうありたいと願っているからだ。もちろん私が作る下着で恋愛相手が鼓舞されたらそれはそれで素敵なのだけれど、「誰かのための身体」ではなく「自分のための自分の好きな身体」だと認めるためのものなのだ。

 コンセプトは、性的に消費される存在だったおっぱいを、自分のものにしようというもの。社会や男性の存在ありきのおっぱいなんておさらばだ! という気持ちで、もがいてきた。

 だが、そんなにのたうち回らなくても、そのしがらみから解き放たれるときが来そうな予感。

 私の中で、おっぱいの存在意義が変わろうとしている。

 きっかけは、妊娠による身体の変化によるものだ。

 授乳をした経験がないから、まだまだ入口に立ったにすぎないのだが、おっぱいが、単なる赤ちゃんを育てるためだけの道具になりつつある。母乳を出す道具、というだけの意味ではない。妊娠するとおっぱいが変わる、ということは、それが変わる意味があるから変わっているのだから。