父の会社が倒産「夜に車に荷物を詰め」高橋ユウが貧乏生活で学んだ両親の教えと「泣きながら食べたラーメン」

AI要約

高橋ユウさんは幼少期をにぎやかに過ごし、家族との絆を大切に育まれました。

両親からは常に愛情とサポートを受け、自分で決めることの大切さを学びました。

父から中学生の頃に唯一怒られた経験もあり、コミュニケーションの重要性を教えられました。

父の会社が倒産「夜に車に荷物を詰め」高橋ユウが貧乏生活で学んだ両親の教えと「泣きながら食べたラーメン」

姉は女優の高橋メアリージュンさん、兄は絵画アーティスト、弟はサッカー清水エスパルス所属の高橋祐治選手。そうそうたるきょうだいと、両親からの深い愛情に包まれて育った高橋ユウさんの幼少期は意外なものでした。(全4回中の1回)

■父に唯一怒られた中学生のときの記憶

── 高橋さんは幼少期をどのように過ごされていましたか?

高橋さん:毎日がにぎやかでしたね。私は滋賀県大津市の生まれで、物心ついた頃には姉も兄も弟もいたので最初から「いつも一緒」という感覚でした。

あるとき、父が私たちを喜ばそうと、母の故郷のフィリピンでよく見るような本格的な「バンブーハウス(竹の家)」を作ってくれたんです。手作りの受話器も柱に備えつけられていて。そこでみんなでおままごとをすることが多かったですね。

両親が休みの日は、父が庭で草むしりをしたり、母はガーデニングの手入れをしたりしている様子を子どもたちが見ながら、兄は庭に穴を掘ってミミズを探したり、弟は近くでサッカーをしたりと、好きに過ごしていました。

そして夜になると、母が音楽をかけながら食事の準備をするので、みんながリビングに集まって一緒に歌ったり踊ったりすることもありました(笑)。

── にぎやかな様子が伝わってきます。当時はご両親のことをどのように感じていましたか?

高橋さん:何があっても絶対に味方になってくれる存在ですね。だから、父や母の顔色をうかがって「こうしたらどう思われるかな」と考えることもなかった。

とにかく両親は褒めてくれるんですよ。たとえば、私がダンスを恥ずかしがると「ユウちゃんすごい!上手!かっこいい!ポーズとって!」とうまくのせてくる(笑)。また、私の意見に対して否定されることもありませんでした。

小学生の頃はバレーボールとバレエとピアノを習っていたんですが、特にバレエは自分から「やってみたい」と言ったんです。すると「やりたいならいいよ」と。習い事をやめるときも「自分で決めたんだったらいいよ」と言ってくれました。小さい頃から自分で決めることの大切さや責任について考えさせてくれたのだと思います。

── ご両親から怒られることもなかったのですか?

高橋さん:もちろんありましたよ。たとえば、母の話を無視してしまったときは「ちゃんとコミュニケーションを取りなさい」と怒られました。これは親子間でよくある会話ですよね。いっぽう、中学生の頃に父から怒られたことは記憶に残っています。