『ぼくが生きてる、ふたつの世界』呉美保監督 自分とリンクした、出会いがもたらす心の変化【Director’s Interview Vol.432】

AI要約

呉美保監督の9年ぶりの長編作品は、ろう者とコーダの物語を描きながらも普遍的な母子の関係を描いている。

原作を映画化することで、コーダやろう者のみならず、多くの人々に響く物語になる可能性を感じ、脚本化に取り組んだ。

脚本化の過程では脚本家との意見交換を重ね、物語の構成や時系列について丁寧に検討しながら作品を完成させた。

『ぼくが生きてる、ふたつの世界』呉美保監督 自分とリンクした、出会いがもたらす心の変化【Director’s Interview Vol.432】

『そこのみにて光輝く』(14)『きみはいい⼦』(15)の呉美保監督、9年ぶりの長編作品は、きこえない⺟ときこえる息⼦が織りなす物語。原作は作家・エッセイストの五⼗嵐⼤⽒による⾃伝的エッセイ「ろうの両親から⽣まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を⾏き来して考えた30のこと」(幻冬舎刊)。主演を務めたのは吉沢亮。呉美保監督たっての希望だったという。

9年のブランクを感じさせない呉美保監督の確かな手腕は、コーダ*の青年が歩む人生を丁寧に紡いでいく。ろう者とコーダを取り巻く環境を描きつつも、多くの人が共感できる普遍的な母子の物語に仕上がった。普遍的なものを映画として見せてくれた呉美保監督は、いかにして本作を作り上げたのか。話を伺った。

*コーダ(CODA):Children of Deaf Adults/きこえない、またはきこえにくい親を持つ聴者の⼦供

『ぼくが生きてる、ふたつの世界』あらすじ

宮城県の小さな港町、耳のきこえない両親のもとで愛されて育った五十嵐大(吉沢亮)。幼い頃から母(忍⾜亜希⼦)の“通訳”をすることも“ふつう”の楽しい日常だった。しかし次第に、周りから特別視されることに戸惑い、苛立ち、母の明るささえ疎ましくなる。心を持て余したまま20歳になり、逃げるように東京へ旅立つが…。

今回は動画版インタビューも公開! あわせてお楽しみください!

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Q:ろう者やコーダの方々の境遇が描かれますが、普遍的な母子の話に感じました。最初に原作を読んだ感想はどうでしたか。

呉:原作を読む前は、コーダとして育った環境について書かれた本かと思っていました。ところが読み進めていくと、私自身にも通じる様々な感情を見つけることが出来た。この本を映画にすることで、コーダやろう者の方だけではなく、家族の関係に思いを馳せる多くの人に響く物語が出来るのではないか。ぜひ映画化したいと思いました。

Q:脚本の港岳彦さんとは初めてのタッグかと思いますが、一緒のお仕事はいかがでしたか。

呉:実はこれまで2作品ほど企画をご一緒したことがあったのですが、どちらも実現出来ませんでした。その経験から、港さんのことはすごく誠実で私以上にロマンチストな方だなと思っていました(私も一応ロマンチストですが笑)。また、港さん自身も地元から東京に出てきた方なので、この原作を脚本化していただけたらどんなに素晴らしいものになるかと。今回は3度目の正直でお願いしました。

Q:脚本化にあたり港さんにリクエストしたことはありましたか。

呉:「ここは絶対に使って欲しい」といった話はしましたが、最初は構成含めて港さんのチョイスに委ねました。あがってきた初稿は、現在から過去を回想していくような構成になっていました。原作自体がその構成なので、素直に脚本に起こすとそうなるのかなと思いつつも、映像にするとちょっと説明的になってしまうかなと。ノスタルジックに説明しているような空気感をずっと纏うことになる気がしました。決して、過去を回想するエモーショナルな物語にしたいわけではなかったので、話し合った結果、生まれてから28歳になるまでを時系列でやることにしました。ただ、それを丁寧にやると何時間もかかってしまう。なるべくピンポイントで点描にし、その重ねた点描の隙間みたいなものを、見る人が想像できるような構成になれば良いなと。そうやって話し合いながら書き進めてもらいました。