フワちゃんの対応は「的外れの連続」 やす子が許しても鎮火しない理由「被害者の思いとは別次元の問題」

AI要約

フワちゃんの暴言投稿による炎上が収束せず、やす子氏の許しも議論を止められない状況が続いている。

社会の一線として人の命をないがしろにする発信を許さない風潮が、炎上の根本原因として挙げられている。

フワちゃんの投稿は社会の価値観と一線を越えた行為として、関係企業からもリンク解除や関係打ち切りが決定されている。

フワちゃんの対応は「的外れの連続」 やす子が許しても鎮火しない理由「被害者の思いとは別次元の問題」

 フワちゃんの暴言投稿の余波が止まらない。今月8日にフワちゃんが謝罪文をXに投稿し、経緯説明をした。10日には暴言を向けられたやす子がXで「フワちゃんのことめちゃめちゃ許してます!もう終わりましょう!!」と発信した。しかし、騒ぎが収束する気配はない。なぜ、被害者が「許す」と言っても議論が止まらないのか。元テレビ朝日法務部長西脇亨輔弁護士は「この件は単なる個人の問題を超えている」と指摘した。

 やす子氏が投稿で記した「もう終わりにしましょう!!」は優しさにあふれたものだと思う。しかし、この燃え広がった炎はやす子氏、フワちゃん自身が投稿を繰り返しても、もう消すことはできないのではないか。理由は「個人の問題」ではなくなってしまったからだ。

 これが単なるタレント間のゴシップだったら、こんな燃え広がり方はしなかったはずだ。しかし、この騒動はフワちゃん、やす子氏のファンではない人を巻き込み、大きなうねりになった。一体、何がこのうねりを生んだのか。

 それは人の命をないがしろにする発信は許さないという社会の「一線」が、公の場で踏みにじられたことへの皆の怒りだと思う。

 ネットいじめは深刻化の一途をたどっている。2022年には、大阪府門真市の中学3年生がSNS上のいじめなどで命を落とし、つい先日、遺族が加害生徒11人と市に損害賠償を求める裁判を起こした。現実に男子生徒はSNSに「Sine」(死ね)、「Uzai」(うざい)と書き込まれるなどしていた。

 こうした悲劇を経て「人の命をないがしろにする発信は決して許さない」という社会の「価値観」、守るべき「一線」が築かれたはずだった。しかし、この社会の「一線」を真っ向から否定したのが、フワちゃんの「死んでくださーい」という投稿だった。

 決して容認できない言葉が、100万人を超えるフォロワーを持つフワちゃんのXアカウントから公の場に向けて放たれた以上、黙認することはできない。きちんとけじめをつけなければ、人の命をもてあそぶ発信を社会全体が許すことになるからだ。それは被害者の思いとはまた別の次元の問題だ。

 こうした意識は、今回フワちゃんとの関係を打ち切った各社のコメントにも現れている。いち早くフワちゃんのCMを止めたGoogleのコメントは「Googleは、他者を尊重しない行為に関しては厳格なポリシーを有しています」というものだった。ニッポン放送も公式サイトを更新し、「ニッポン放送では番組基準というルールを設けており、他者を尊重しない誹謗中傷する行為については決して認めることができないと考えております。フワちゃんの今回の不適切な投稿は番組外での発信ではありますが、当社の考え方に著しく反するものであり、『オールナイトニッポン0(ZERO)』の降板を決定いたしました」と発表した。

 どちらのコメントにも、フワちゃんが「他者の尊重」という社会の「一線」に反した以上、公の場で関係を持つことはできないという姿勢が示されていた。それは被害者がどう思っているかとは関係なく、フワちゃんが社会の価値観を踏みにじった以上、公の企業として付き合いを続けられないというポリシーの現れだった。

 これは法律の世界の「刑罰」も同じだ。罪を犯して社会の「一線」を越えた人は、被害者が望んでいるかどうかと関係なく、罰を受けるのが原則とされている。薬物事案のようにそもそも直接の被害者ははっきりしない罪もある。以前は被害者の処罰意思がなければ罰することができない犯罪(親告罪)も多かった。しかし、今では大幅に減っていて、性犯罪も被害者の希望とは関係なく、罰することができるようになった。

「刑罰」は必ずしも被害者のためにあるのではない。罪を犯し、社会の「一線」を越えたから、罰せられるのだ。それと同じくフワちゃんの投稿も「人の命をもてあそんではならない」という社会の「一線」を越えたから、皆の拒絶反応と炎上が止まらないのだと思う。