歌手・岡本知高、小3当時の夢は「志村けんさんの弟子」『たけしの誰でもピカソ』などバラエティ番組出演で起きた変化

AI要約

奇跡の歌声とも呼ばれるクラシック音楽歌手の岡本知高。世界的にも希有な「天性の男性ソプラノ歌手」として、その歌声はジャンルの垣根を超えて人々を魅了してきた。

岡本知高のバラエティ番組への出演やコンサート活動に対する姿勢。志村けんさんやテレビ番組が彼の人生に与えた影響。

クラシック音楽歌手でありながら、異ジャンルでの活動や柔軟な姿勢。その心構えの根底にある若かりし頃の影響。

歌手・岡本知高、小3当時の夢は「志村けんさんの弟子」『たけしの誰でもピカソ』などバラエティ番組出演で起きた変化

 奇跡の歌声とも呼ばれるクラシック音楽歌手の岡本知高。世界的にも希有な「天性の男性ソプラノ歌手」として、その歌声はジャンルの垣根を超えて人々を魅了してきた。CDデビュー20周年を迎え、テレビ番組への出演やコンサートツアーと精力的に活動している岡本知高のチェンジとは?【第1回/全5回】

 鮮やかな緑色の衣装を身にまとって編集部員の待つ部屋に現れた岡本さん。一見、現実離れしているような衣装だが、堂々とした風格によく似合っている。

「この服装で学校公演にも行くんで、子どもたちに“いくつに見える? ”って聞くと、“400歳かと思った”って言われたりするんですよ(笑)」

 歌手としての活動のほか、テレビのバラエティ番組などでも、軽妙なトークで存在感を発揮している姿が記憶に残っている人も多いはずだ。その原点は、岡本さんが子どものころに見た志村けんさんにあるという。

「僕の小学校3年生当時の夢は、志村けんさんの弟子になることだったんです(笑)。『8時だョ!全員集合』も観ていたし、本当に志村さんの弟子になりたかった。あとはアニメの『パーマン』を見て、パーマンにもなってみたかったですね。

 テレビの歌番組でチェッカーズや、小泉今日子さんとか歌謡曲を聞いて育った。当時は、オペラとかクラシックを知るきっかけがなかったんです。でも、僕がオペラの勉強をして『たけしの誰でもピカソ』(テレビ東京、1997年~2009年)などに出演すると、コンサートにお客さんがドッと観に来てくれて。

 そこで初めて、メディアに露出することで興味を持ってもらうきっかけになるってわかってきた。そういう理由で、テレビにも出演するようになりました」

 周りから見たら、クラシック畑の人がバラエティ番組に出演するのは、アウェイな場所にいるように感じられるかもしれない。しかし、それも戦略の一つだという。

「僕自身が、“ソプラニスタ像”として別人格の“岡本知高”を演じなければならないのなら、テレビには出演していなかったです。僕は最初に出演したときから、素のままだった。失礼かもしれないですが、家でテレビを観ているような気持ちでバラエティ番組に出演させていただいています。

 明石家さんまさんが偉大な方ってわかっているけれど、同じ空間で話をしていると、ご本人の人となりが伝わってくる。だから相手が有名とか関係なく、僕のままでいられるんです。ただ、重い衣装を着ているから収録中は3、4時間も座っているのがつらいときもありますね(笑)。

 たまに“クラシックの方なのに、バラエティ番組に出されてかわいそう”って言われることもあるんですが、自分で出たいと言っているので(笑)。基本的にはバラエティ番組は楽しんでいます」

 コンサートでは、聖飢魔IIのデーモン閣下と共演したり、THE BLUE HEARTSの楽曲をカバーしたりしたことも。そのようなジャンルを超えた柔軟な姿勢が、彼の魅力でもある。そうした心構えは、どういったきっかけで生まれたのだろうか。

「吹奏楽部でサックスを頑張っていたころ、NHK『音楽・夢コレクション』(1989年~1991年)という番組があって、ビデオテープが擦り切れそうなほど、何度も見直していました。その番組には、森公美子さんや中島啓江さん、戸田恵子さんといった、そうそうたるメンバーが出演していた。僕は子どものころから少しぽっちゃりとした体型だったので、学生時代はすごくコンプレックスを抱いていたんです。

 でも、番組のなかで森公美子さんも中島啓江さんも、大きな体型を生かして全身で表現されていた。それまでは、“自分はなんて惨めでちっぽけな存在なんだろう”って感じていたけれど、お二人の勇姿を見て、自分の中の心の鎧をドンって脱ぎ去ることができたんです」