平泉成「生活のためのお金がほしかった」役者歴60年、長く活躍の秘訣は「やっぱり意地もあった」

AI要約

平泉成さんが役者生活60年目にして初主演を果たす映画『明日を綴る写真館』について。

平泉さんの長く活躍する秘訣や仕事観について。

平泉成の経歴や活動について。

平泉成「生活のためのお金がほしかった」役者歴60年、長く活躍の秘訣は「やっぱり意地もあった」

 役者生活60年目にして、初めて映画に主演する平泉成さん、80歳。日本を代表する名バイプレイヤーとして、昭和・平成・令和で常に第一線で活躍し続ける平泉さんには、いくつものTHE CHANGEがあった。【第4回/全5回】

 6月7日公開の映画『明日を綴る写真館』で役者歴60年目にしてはじめて主演を努める、平泉成さん。町の写真館を営むベテランカメラマンという役どころだが、自身も写真撮影を趣味として、日々カメラを持ち歩いているという。撮影中、この日のカメラマンが「どんなカメラを使っているんですか?」と聞くと、はずんだ声色で教えてくれた。

「ソニーのミラーレス一眼、α7Cです」

カメラマン「軽くて持ち歩きやすいですよね」

「いやさあ、それがさあ、レンズ、50mmF1.2というやつを買ってさ。GMのいちばん高いやつ。それが重くってさあ! 参っちゃうよねえ」

 毎日持ち歩いてレンズを覗いているからこその、まんざらでもない楽しげな愚痴だ。私生活は趣味で充実し、仕事も毎年絶え間なくドラマに出演し続ける超売れっ子。冷静に考えて、昭和・平成・令和とまたにかけて第一線で活躍し続けているなんて、とんでもないことではないだろうか。

 だが、平泉さん自身に「長く活躍し続ける秘訣とは?」と聞くと、「そんなこと聞かれても困るけど」と遠慮がちにこう言うのだ。

「やっぱり意地もあったよね。それから、生活のためのお金がほしかったからね。僕のニューフェイスの出発は風呂もトイレもない三畳一間の狭い寝床からのヨーイ、スタートでしたから。

 そこからやってきたから、結婚したら、ちょっとでもいいところでいい生活をしたいと思ったし、そのためには1本でもたくさん仕事をしたいと、そんなふうに思ってやってきました」

ーー切実に、生活のために。

「そうです。それを積み重ねていったら、いつの日かいまみたいな立場になって、少しずついい役がくるようになったんです。ただ、積み重ねても子供の学費とかさ、私立の学校に入れちゃったらさ、“もう1本やろうか?”とかなるじゃない。とにかく、できない役だと思っても、なんとかできるふりしてやっちゃおう、とかさ。

 だから、“夢のスターとしての俳優”というよりも、“仕事としての俳優”で、稼がなきゃいけないという感覚でやってきました。スターさんみたいな家は建てられなかったけど、普通の家は建てられたしね」

 平泉さんが80歳にして現役でい続ける背景には、地に足のついた仕事観があった。でもそれはやっぱり、常人にはマネできないだろう。

ひらいずみ・せい

1944年6月2日生まれ、愛知県岡崎市出身。高校卒業後、ホテルに就職。大映フレッシュフェイスに応募、1964年第4期ニューフェイスに選ばれる。その後、大映作品に出演、1966年『酔いどれ博士』で映画デビュー。1971年の大映倒産とともに活動の場をテレビドラマに移行。1984年から現在の芸名“平泉成“に改名。以降、作中で存在感を放つバイプレイヤーとして名を馳せる。その特徴的な声と唯一無二の人間味が、多くの人にものまねされることになり、世代を超えて支持されている。

有山千春