つらい練習も明るく泳ぐ 新星スイマー、初の五輪 競泳・松下選手〔五輪〕

AI要約

松下知之選手がコロナ禍で苦労しながらも五輪で決勝進出を果たすまでの成長物語。

地元の水泳教室で育ち、持久力とスピードを兼ね備えた松下選手の才能が開花。

瀬戸大也選手との代表選考会での激しい競争を経て、松下選手が大舞台で活躍する。

つらい練習も明るく泳ぐ 新星スイマー、初の五輪 競泳・松下選手〔五輪〕

 「自分の力をぶつけたい」。

 競泳男子400メートル個人メドレーの松下知之選手(18)=東洋大=は中高時代、コロナ禍で大きな大会に恵まれなかった。新世スイマーは初めてつかんだ五輪で決勝進出を決めた。

 2人の兄の影響で0歳から高校3年まで地元、宇都宮市の水泳教室に通った。中高6年間指導した永松康一コーチは「おおらかで、いつもにこにこ。練習でもつらいことを明るくやる子だった」と振り返る。

 当時から水の捉え方や泳ぎがうまく、バタフライ、背泳ぎ、平泳ぎ、クロールの4泳法いずれも、スピードと持久力があった。永松コーチによれば、一番の持ち味は「持てる力を一気に、爆発的に出せるところ」。ただ頑張るのではなく、きちんと技術的な裏付けを持って力を発揮できた。

 だが、コロナ禍で出場予定だった大会が次々と中止に。松下選手はうまく消化できないようだったが、徐々に向き合えるようになり、教室で子どもたちに積極的に声を掛けるなど、成長を感じさせる場面もあった。

 2023年冬から、印象に残るほど、松下選手の練習への本気度が増した。「絶対にパリに行く気だな」。どんなに厳しいメニューを与えても応える姿に、松永コーチは毎日が楽しかったという。

 パリ五輪を決める代表選考会。松下選手は、先行していた瀬戸大也選手(30)と差が開いていたにもかかわらず、ラストの自由形でスパートをかけ、追い抜き1位で代表入りを決めた。

 「あれだけの差を追い掛ける気になったメンタル。彼の努力は無駄じゃなかった」。恩師にそう言わせた松下選手が大舞台で水に飛び込んだ。